翼の折れた天使たち 第一夜 衝動。 | 頭の整理@タックスヘイブン パナマ文書を調べよ

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所得税累進課税と配当税の上限UP 政教分離 三権分立 銀行国有化 
天下りと特別会計と消費税還付廃止 寡占企業や法人や株式の見直し

東日本大震災311は金融マフィアによる核戦争行為


またも特別連続ドラマ企画。

Yoshi原作です。


私はこの方の原作を一度も読んでいないけれど、

売れているし、有名なので知ってます。

名前は。

読む予定はないです。

文章レベルは一生わかりません。


女子高生が買ってるのかね。これ。

勝手に若い子が読んでいると解釈してます。

私としては、

こういったドラマを見ることで自分の感性を確認してる。

あんまり若い人と感性が乖離するのは

悲しいかなって。そう思って。


「第一夜 衝動」

石原さとみ。佐藤隆太。


コンビニで働く主人公は無気力に日々を過ごす。

母親との関係が悪く、

毎日を生きることに意味を見いだせないのだ。

ある時知り合った男が、

執拗につきまとってきます。

彼との出会いをきっかけに「生きること」を

再確認する主人公……。


すっごい古典的なお話。

設定とか

キャラの関連性とか、まあ、ありがちな。

でも短編だから仕方ないのかしら。

つうか、

YOSHIさんの読者さんは、

特に目新しいものを望んでないのかもしんないし。


ツッコミを入れるなら、

佐藤隆太のつきまとい方が不自然だったこと。

あれじゃあ警戒して逃げられるぜ。ふつう。


「ほっといてよ」(女)

「待てよ!」(男)


待てよって、背後から肩をつかまれたら、

私なら即座に逃げます。叫ぶかもしんない。

あんた誰だよ。と。

家までついてくるよ、あいつ。

やべーよ。

誰か助けてー。

(とか、ならない?)

倒れた自転車をせっせと直す佐藤隆太。

あれを見ていて思い出した。

私も、たまに倒れた自転車を直したりします。

言っておきますが、

完全に自主的に直してんのよ。気が向いたら。


前に同居人とふたりで歩いていたところ、

盛大に雪崩を起こしていたので、

(もはや事故)

ふたりで直していたところ、

とあるカップルが手伝ってくれました。

おお。優しいな。

(カップルだけど手伝ったのは男だけ)

でもね、


「で。どの自転車ですか?」

だって。


え。何が。

と一瞬思った。

ああなるほど。勘違いしてんのか。


「私のじゃないよ」

と告げた時の、男の呆気にとられた顔。

それが印象的だった。

 

私たちはそれからすたすたと

その場を後にしました。

「自分のチャリじゃなきゃ、起こさないもんか?」

「ボランティアじゃんね」

なんて話していたら、

同居人がふと、


「あれさ……私たちが倒したと思われるんじゃね?」

「あ」


盲点でした。

あのカップルの視点からすると、

私が盛大に倒した自転車を並べるのを手伝ったのに、

礼も言わず立ち去った無礼なヤツ。

になってるかもしんない。


えー。

でも、私がお礼を言うのも変じゃん。

どうすりゃいいの。

世の中、難しいことがいっぱいです。

(考えすぎ)


こういうエピソードを

ブログで何度も何度も

同じことを書いてる可能性がありますが、

まあ、そのあたりは目を瞑ってやってください。

(よくあること)


で、ドラマに話を戻します。

ちょっとビックリしたのが、佐藤隆太の母親役。

息子のノートを取りだして、

「ここに書いてある人って、あなたね(微笑)」

だって。


あんた。

息子のノートを勝手に読んでるわけ?

そりゃ仲も悪くなるはずだ。


「息子が倒れる前にね、飛び出していったのよ。

 たぶん、あなたに会いに行ったのね」(うろ覚え)

「(はっ!)」主人公。

「いいのよ。息子のことはもう仕方ないと思ってるから」(母)


えー。

そんな言い方ねえだろ。


しかもそんなにひどいのに、

抗ガン剤を服用し始めるってどうなの。

副作用が苦しいだけで、

意味を持たないし、医者もすすめない気がするけど。

(素人考えですので)


母親にビックリです。

脇役なのに、すごい存在感。


石原さとみの誇張した接客態度にも驚き。

あんな店員がいたら、

クレームクレームで仕方ない。

生きることを放棄したいのと、

給料をもらって働いてるのに、

ふてくされた態度でサボるのは別物だろう。

やる気なくモップ滑らせてる姿は、

「あーあ。二度手間だから、やめてほしい」

と思った。

(気分は同僚)

掃除くらいまともにやれ。

許されてるのがスゴイ。ほんと。


母親の愛情を求めるくせに、

隣人の親切は足蹴にして、仕事も適当。


はいはい。

自分の足下を見ようね。

振り返ってみようね。

親切にできない人が、人から親切にされるわけがない。

周囲は、自分を映す鏡。

とは言い得て妙だ。

主人公に同情はできなかった。


最後の画面に

「生きるとは」みたいなテロップが出ていたけど、

私の考えはちょっと違う。

別に生きることに意味を持たなくても良いのだ。

受け入れる人生もまた良し。

自分の気質に会った生き方をすれば良い。


今回の主人公のように満ち足りない空白を抱えてる人。

とくに親からの愛情にお腹を空かせながら

成長してしまった人は、

「生きる意味」を探そうとするし、

それはイコールで、

「人から必要とされたい」ってことに通じてる。


一歩間違えば、依存症に陥る。

恋愛依存になったり、

相手との共依存にハマったり、

盗癖や援助交際やリスカや薬や、

まあ、いろいろに流れてしまう。

YOSHIさんが描きたいのは、そういう女の子だろう。


人に優しくされたいなら、人に優しく生きること。

必要とされたいなら、

まずいろんな人と触れ合ってみること。

積極的にボランティアに参加してみればいい。

人の目線で考えてみればいい。

真面目に働いてみればいい。


電車で席を譲るとか、ゴミを拾ってみるとか、

嫌な人間の長所を探してみるとか、

自宅で無駄な電力をカットするとか、

水を無駄にしないとか。

まず物を大事にすることから始めて良いかも。