人間は現象に意味づけしたがる生き物だ。

生まれてきた意味とか、人生の意味とか、働く意味とか、何でもその意味・意義・理由を人は知りたがるけれど、意味なんてものはこの世に存在しないかもしれない、まるで天国や神のようなものだ。


例えば、夢を見る。何か暗示的な内容で、啓示というか、お告げというか、現実の生活の上で気を付けようとしたりもする。。。


しかし、夢は何の意義もないかもしれない。記憶の統合をしているとか、無意識の葛藤を顕在化しえてるとか、そういう根も葉もないオカルト的なことを考える人がいまだに少なくない。フロイトは夢判断で、夢の内容を分析しそれを神経症の治療に役立てようとした。しかし、今これを肯定する人は一部であろう(脳科学者の茂木健一郎も、そういうことをわかっていながら、つい先日、一般人に対してTwitterで夢にはその人の悩みが反映されているなどとうそをついてしまっていた・・・ロマンティックな話をして普通の無知な人を惹きつけようとするのはどの時代でもあるわけで・・・)。


話がそれた。。。



寝ている間に首に金属の棒が触れそのヒヤッとした冷たさに、当の本人(熟睡中)の脳の中で、ギロチンで首を斬られる処刑のストーリーの夢を瞬時に作り上げる。この夢は、何故処刑されるに至ったかまでの出来事を何年単位もの長大なストーリーで構成されている。

つまり、現実の現象(冷たい金属の棒が首にたまたま触れたこと)から脳がいろんな想像力を200%フル回転させてすごい勢いで当の本人に錯覚をさせてしまうわけだ。


錯覚


本人が感じたことと、その裏側で実際に何が起こっていたのかは、違うことが少なくないということを言いたかったのだが、


(まだ途中です・・・)






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