無題

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「心はすべて数学である」2015/12/9 津田 一郎 (著) を読んだ。

少し考えるヒントを得られた。

エピソード記憶と意味記憶。
エピソード記憶は時間的順序がかかわっている。

意味記憶をつなげる連想。これは時間的順序はない。

エピソード記憶は時間的な順序があり、A→B→Cといった流れができている。

しかし、時間というのは流れているというよりも、一瞬一瞬ごとに切り替わっている、アナログ的な動きだ。方向性はあるけど。

方向性のある紙芝居・・・
一枚目と二枚目の連続性は脳が勝手に解釈している。

もちろん、体内時計か何かでどれくらいの時間経過なのかは脳はできるだけ正確にやろうとしている。

 

 

まだ途中・・・

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「心はすべて数学である」2015/12/9 津田 一郎 (著)

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『 心はすべて数学である 』という本を読んでいる。
数学者の書いたものだから、心という難問をカオスなどから解き明かそうとする数学よりの本かとあまり期待せずに読み始めたが、脳科学についてもよく勉強されていて、読んでてとてもインスパイアされる傑作だ(と今のところ思い始めている)。もちろん、今後読み進めていくうちに、やっぱり失望してしまうかもしれないけど・・・

 

 

本の中での著者の主張とは別に、僕自身が読んでいて考えるヒントとさせられることに、記憶というデジタル的な脳内現象がある。記憶や感覚は実は細切れだし、圧縮されている。これは、過去という概念の根底を覆すのではないかと、僕は密かに思っている・・・

 

 

未来を知ることはできないし、だれにも未来はわからないわけだが、実は、過去も本当は誰も正確にはわかっていない。せいぜい、ビデオで記録する程度だが(ビデオだって二次元の記録に過ぎないし)。

人間の脳は顕在意識を錯覚させる。本当の意味での実際的な意味での過去なんてないのかもしれないし、未来もないのかもしれない。

 


とにかく、『 心はすべて数学である 』という本を読みながら、これからも自分の思索を続けていきたい。

 

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この世での暮らしは毎日苦しいし、つらいことかいっぱいだし、過去の嫌な思い出や後悔がたくさんあるし、何より明日に課題や心配事を山積みにしたまま、床に入るわけだ。

だけど


だけど、これらは、真に思い煩うことではないし、本来、人生は人生の意味を追求する良い機会なのだと思って、苦しかったこともつらかったことも全て人生の意味解明の益にしていきたい。


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色んな活動

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緊張感   と学習性無力感


無職だったり、引きこもりだったり、家族としか人間関係がなかったりして、緊張感がない生活だったら、鬱になるリスクがあるのは当然だ。 しかし、他の人とストレスフルな人間関係で、成功体験少なく、ほぼ100パーセントつらい思いばかりの毎日だったら、やはり、鬱になってしまう危険性がある。


適度に緊張感があり、そして、そのストレスに報いる成功体験があるのが、理想的だ。


これを実現するには、ずばり、いろんな対外活動をしていくことだろう。

ある活動がうまくいかなくても、別の活動で成功すれば、小さな成功でも、達成感や充実感を得られるはずだ。

また、ある活動が自分の得意なものでも、いつもうまくいくわけではないはずで、ダメな時は、別な活動でうまくいって、落ち込まずに済む。


だから、何とか、いろんな活動、いろんなやり方、いろんな人と交流を目指していけばいい

もし死がなかったら

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もし、人間に死がなかったら、哲学は誕生しなかっただろうか。。。
 
死がないとは、誕生もなく、いつの間にか、この世に存在していることに気づき、いつからこの世にいるかもわからず、いつまでこの世にいるのかもわからない状態、と言うか、永遠に存在し続ける状態…
つまり、人間と言うよりも、この世界自身のことだ。この世界は、わけもわからず、存在してて、永遠に存在し続けることに、倦み疲れることだろう、自意識があればの話だけど…
ジョジョの奇妙な冒険で、宇宙空間に永遠に漂流し続けることになったカーズという敵キャラが『死にたいと思っても死ねないので、考えるのをやめた』となったように、この世界も、もしかしたら、初めは、意識があって思考もしていたけれど、やがて、自ら思考するのを辞め、意識もなくなったのかもしれない…
 
ということはあり得ないだろうと僕は思う…
 
自ら思考するのを辞めたり、自分で意識をなくしたり、そんなことはできないだろうから。
 
この世界に意識があって、思考することができ、思い出すこともできないくらいの昔から存在し、これからも永遠に存在し続けるだろうとき、この世界は何を思うだろう?
 
それこそ、神のように、暇潰しに、自分に似せた存在(人間)を作り、観察しようとするかもしれない…あくまで、戯れに…
 
前置きが長くなった。
ここからが本題だ。
 
永遠に存在し続ける存在(神)が、永遠に存在し続ける故に、自分の存在意義を悩む、考える、考え続ける…そこで、人間という存在を作り、自分の代わりに人間に存在の意味について色々考えてもらい、存在の意味の答えを解き明かしてもらう…
まるで、人間がコンピューターを発明して、人間の代わりに複雑な問題を処理させるように。
 
(存在の意味を必死に考え続ける一部の人間を神が観察しながら、その人間がさらに深く考えられるように環境調整したり、その人間の子孫を増やそうとしたり、神は何か介入しているかもしれない…)
 
何十億という数の人間に何万年も考えさせ、まるで脳の何百億ものニューロンのネットワーク・相互作用で、人間同士で哲学談議させ、ファシリテートし、、、
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動悸

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今日は、礼拝への行き帰り、走って。。。


現代日本人は会社でのデスクワークでも、店や工場や施設での肉体労働でも、とにかく、胸がドキドキするような無酸素運動がなくなってしまって、かなり、心臓や肺を抑え込んだ不健康ライフを送っている(まるで散歩させてもらえない室内飼いの犬のように、ストレスがたまっていくだろう。)。交感神経のやり場がなくなって、ウズウズした交感神経及び心臓は、中枢神経からの理性的な抑制支配が解けた時だけ(つまり、不安や心配や嫌なことを考えて中枢神経の機能が乱れたとき)急に暴動し、心臓のドキドキやソワソワ感などの不快感、苦しさを生み出すんだろう。

この現代日本で、スポーツやジョギングの趣味のない人は、たまには全力疾走することが大切だろう。。


レゾンデートル  raison d'etre

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脳科学者は言う「自我というのは幻想に過ぎない、自分と思っていても、自由意志といっても、結局は脳の化学的反応に過ぎず、自由意志もないし、自我なんて幻想に過ぎない」と。


仏教信者は言う「自我とは煩悩であり、幻想である」と。


一般人は言う「人生一回きり、楽しく生きられればそれで良い」と。


これらの意見に僕は異を唱える。


自分という意識が幻想?
幻想も何も、確かに感じる自分というものが存在するのだ。幻想だろうと何だろうと、苦しんだり、喜んだり、悲しんだり、嬉しく思う感覚が存在するのだ、自分には。この感覚は、他の存在には感じることができない、ただ僕一人だけの体験なのだ。

楽しく生きられればそれでいい?今が楽しくてもそれはただ運が良かっただけ。次の瞬間には最悪の不運、不幸、苦痛を感じているかもしれないのだ、一寸先は闇、今が良くても次の瞬間にも良いとは言えない不確かさ、そんな不安定な状況で「今が楽しければそれで良い」なんて能天気なことは言ってられない・・・


やはり、自分という唯一無二のこの存在の意義を考えなければ、不確かな未来に向けて、泰然自若、迷いのない、納得できる心の平穏には到達できない。いや、平穏は期待しないけど、納得できる自分という存在の理由raison d'etreを知りたい・・・
 

無題

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人生の意味と言うと、人によって色々別々の解釈をされてしまうけれど、
僕が求めている人生の意味というのは、どんな時代のどんな人にも当てはまる普遍的な人生の意味のことだ。

幼くして亡くなってしまう子どもにも
年老いて意味もなく延命処置され長生きし続けてるように見える植物人間にも
平和に平凡に生きてる人にも(そういう人がいるのかどうかはわからないが)
毎日苦しみながら生きてる人にも
悪人にも
聖人にも
男性にも
女性にも
今すぐ死にそうな人にも
まだまだ人生これからの人にも


誰にでも当てはまる人生の意味を…