「えー、教えて下さいよー」
「あかん、絶対に笑うから、教えとうない」
彼が飼っていた子猫の名前の話題になり、飲み進めたワインでの酔いも手伝って、頑なに拒否する俊太郎さんの上着のそでを掴んで私は何度もお願いする。
「笑いません、約束します!」
「ほんまに?」
「はい」
「う・・・ん・・・真っ白いからミルクっていう名前なんやけど」
もったいぶってからそう答えて、言った後に照れくさそうにする。
笑うどころか、そんな俊太郎さんを可愛く思ってしまう。
私は今日だけで何度ときめいてしまった事だろうか・・・。
こうして私達は子猫の話やあの時ねん挫した足の話、他にも色んな会話で盛り上がって、あっという間に時間が過ぎて行った。
―――店を出て、花ちゃんと新宿駅に向かって歩く。
「あぁ、楽しかったぁ」
「うん、楽しかったね」
「あの、俊太郎さん、やったっけ?」
「うん」
「あの人ものごっつう男前やな?」
「あはははは、ものごっつうって・・・うん、そうだね・・・素敵だよね」
俊太郎さんの笑顔を思い出して、心の中で温かいものが広がってゆく。
「せやけど、あの人が前に聞いたダンガリーシャツの人やったとはね」
「そうそう、すっごい偶然すぎてびっくりしちゃったよ」
「あの頃、暫く毎日毎日、古高さん古高さん言うてたよねぇ?」
「えっ?そ、そうだっけ?」
確かに、当時花ちゃんにあの雨の日の出来事を話していた。
もう二度と逢えないと思っていた、古高さんという優しい男性の話を。
「うち、めっちゃ耳タコやったんやで?」
花ちゃんはニカっと笑って
「あ、渡ろっ!」
点滅を始めた横断歩道を指さして駆け出す。
「あ、待ってよ」
運命の再会、とも言うべきか。
思いもよらない嬉しい偶然が起こった夜。
私は弾む足取りで花ちゃんの後を追った・・・。
それから数日後。
バイト帰りに予約していた歯医者に立ち寄っていた。
虫歯が出来てしまったのか、昨日の昼間から痛みだした歯を診てもらうつもりだった。
待合室には自分も含め、2人の患者さんが座っていた。
会社帰りのサラリーマンらしきおじさん、曲がった腰を辛そうに擦っているおばあさん。
おばあさん、おじさんの順番で名前を呼ばれ、診察室へ消えてゆく。
「もう少しお待ち下さいね」
歯科助手さんに声をかけられ会釈を返し、膝の上に置いたファッション誌に再び視線を落とした時だった。
「あれ?」
目の前が黒い影で覆われて、ぱっと顔を上げるとそこには驚いた表情の俊太郎さんの姿が。
「えっ!?しゅ、俊太郎さん!」
大きな声を上げてしまい、慌てて口に手を当てる。
「ふふっ、こんばんは」
俊太郎さんはほほ笑みながら、私の隣に腰を下ろした。
「これはまたえらい偶然どすなあ」
「は、はい・・・どうしてここに?」
この歯医者は渋谷にあったから、俊太郎さんの勤め先とも自宅とも離れた場所にあるはずだった。
「あぁ、ここは元々新宿にあったんよ」
去年、私達が初めて会った頃、歌舞伎町近くに住んでいた俊太郎さんは検診とホワイトニングで2回ほど通った事があるのだと教えてくれた。
「腕もええし、親切な先生やったから」
俊太郎さんはいったん立ち上がって財布から診察券を取り出すと、受付の小さな箱に入れてまた私の横に座る。
(こんな偶然があるなんて・・・)
またまた意外な場所での再会に、私の胸は高鳴り始めた。
「歯、どないしはった?」
顔を覗きこまれて、一気に頬に熱が集まる。
「あ、あの・・・ちょっと虫歯かもしれなくて」
少し恥ずかしくなってしまい、膝の上の雑誌を閉じ、離れた場所にあるマガジンラックへ戻す。
大きく深呼吸してから元の位置へ座り直すと
「虫歯は困りましたねぇ、大丈夫どすか?」
顔を近づけたところで見える訳でもないのに、俊太郎さんはそう言ってさっきよりもさらにその綺麗な顔を寄せる。
ぐっと息を飲んだ時、診察室から名前を呼ばれた。
「はっ、はい!」
勢いよく立ちあがり、俊太郎さんにぺこりと頭を下げてその場を去った。
(助かった、ような・・・ちょっと間が悪いような・・・)
複雑な思いを胸に診察室へ入る。
診てもらうとやはり虫歯が出来ていたらしので、今すぐに削ってしまおうと先生が言う。
痛みが出ないように麻酔をかけて、少し経ってから治療が始まった。
「はい、多分これで痛みはもう出ないはずですよ。詰め物しますのでまた次週の都合を受付に言って下さいね」
先生は丁寧に言って、お疲れさまでしたと治療室から出て行った。
私は台から身体を起こし、かごの中のバッグから携帯を取り出し時間を確認する。
(結構時間、かかっちゃったな・・・俊太郎さん、治療が終わってもう帰っちゃったかもしれないな・・・)
歯の痛みが治まって、考える事はまた彼の事ばかりだった。
待合室に戻るとやはり俊太郎さんの姿はなく、私はがっくりと肩を落とし、お会計を済ませて次回の予約を入れた。
自動ドアを出たところで何者かに背後からポン、と肩に手を置かれ
「キャァァーーーッ!」
私は大きな声を出して飛び上がってしまった。
「す、すんまへん!」
振り返ると、俊太郎さんが申し訳なさそうに苦笑していた。
「俊太郎さんっ・・・」
「驚かしてしもたようで、堪忍な・・・先に治療終わって、あんさんを待ってましたんや」
「えっ!?」
嬉しい誤算に思わず顔が緩んでしまう。
「また偶然にもここで会うたんやし、これからご飯でも一緒にどうやろかと思て」
ちょうどお腹が空いていた私は、2つ返事で返そうと目を輝かせると
・・・グゥゥゥ~
なんと、不覚にもお腹で返事をしてしまったのだ・・・。
「・・・っ!!」
その音は俊太郎さんにも聞こえてしまったみたいで、楽しそうにふふっと笑う。
「ほな、行きまひょか」
私は顔から火が出そうになりながら、はい・・・と俯いて答えた。
≪俊太郎編4へ続く・・・≫