一度開いた“木戸”を、一時間後に閉じた。抵抗―。大先生の助言に、逆らったのだ。


タイちゃんのブログ~長野の里山から~
僕の農の師匠、計雄(かずお)大先生。農業歴71年、御年86歳。

計雄じいさんは何もかもが凄い。先の太平洋戦争の戦時中、戦後の食糧難に苦しみ、貧しさを味わったと聞く。本人自らも「貧しさを経験した人間ってのは、強ぇーよ」とおっしゃられる。僕が体験したことがないことは、じいさんは経験して来ている。それだけでも、一生かかっても足元に及ぶかどうか、というところである。

さて、大先生の助言とはすなわち、僕の田んぼの稲のことだ。どうも他の田んぼと比べて、生育が遅く、葉色が薄い。なぜなんだろう?という疑問を、昨日13日、じいさんに持ちかけた。


タイちゃんのブログ~長野の里山から~
僕の田は水だけ張ってある田んぼの左奥。よく見ると、同左手前の田んぼの稲と、色の違いが分かろうか。


タイちゃんのブログ~長野の里山から~
これが現状。

今年は田植え直後に生の米ぬかを撒いた。目的は除草と、表落合のYさんが「米ぬかを撒いたら草が生えず、稲の味が甘くなった」と人づてに聞いたからだ。結果が写真の通りだ。

米ぬかを撒いていた時、通りがかった隣の田んぼの一郎さんに「お前、そんなことしたら草は生えねぇかもしれねぇけん、稲も生えねぇ(育たない)ぞ」と指摘されたが、続けて「まあ、お前たの田んぼだ。実験ならオラ、人の田んぼに口出しできねぇ。やってみらし」と背中を押してくださった。

一郎さんの指摘は今までのところ大当り、と言っていいだろう。例年ならば「田の草(=田んぼの中に入って草を取ること」に2度は入っているだろうが、今年はまだない。まるで強力な除草剤を撒いたがごとく、草が生えてこないからだ。

ところで、わずか3年とは言え、この田んぼで今までになかったことが発生している。厚さ10~15センチもある「トロトロ層」の存在だ。原因は不明ながら、米ぬかを撒いたこと、それと異常なほどにオタマジャクシが多い事、この2点が関係しているに違いないだろう。

この事態を計雄じいさんに話すと、しばらく考えてから下記の通りに自論を展開された。

「うーーん、オラもそんなことやったねぇから分からねぇがな。ただ、(米ぬかを)生で入れたんだろう?発酵させてからだったら問題ないんだろうけんな。生だと土が手伸ばして、窒素を食っちまう。そうなると稲に栄養が行き渡らなくなって、稲が栄養不足になる。6月の終わりっ頃に気付けばよかったけん…もうこの時季だと、遅ぇなあ。放っといたらものにならねぇよ。やるならすぐに水落として、化成の10以上のもんを撒くしかねぇなあ。そうしてみらし」

僕は化学肥料は否定しない。なぜなら、何が混ざっている市販の有機質肥料より、よほど環境に優しいか、ということを知っているからだ。化学肥料は確実に土に吸収される(やり過ぎになると土が吸収しきれず、河川に流れ、富栄養をもたらしてしまうのでいけない)。

ところが牛糞にしろ鶏糞にしろ、動物性の堆肥は怖い。もとの牛や鶏が“大量生産”に合うように、何種類もの薬やホルモン剤や抗生物質を投じられ、土に撒けば、それらは吸収されずに河川に流れ出し、生態系を狂わせてしまう。だから、よほど牧草だけを食べている牛や鶏なら、その糞に信用をおけるが、エサが何なのか分からない代物ほど、怖いものはない。

分からないとは、つまり消費者に説明を付けられない、ということになる。僕はそういうやり方はしたく.はない。いくら恥ずかしくても、赤裸々でいたい。他の誰かさんと同じではなく、オンリーワンを目指している。


とすると、せっかくの大先生からいただいた助言に、抗わねばならない。たしかにじいさんの農業歴71年に対し、僕はたったの3年。ただ、僕の田んぼの経験は僕が3年なのに対し、じいさんは一度もない。田んぼには一枚一枚に性格があるという。土の質、硬さ、水持ちなどなど。僕は僕の田んぼだから、ある程度田んぼの性格をつかめている。じいさんの田んぼは入ったことがないので分からない。

もちろんじいさんは経験上、善後策として常識に基づいておっしゃってくださったに違いない。ただ、常識には従っていられない世の中に入っていると、個人的には思っている。国の農政が「20~30ヘクタールを基本とし…」とされても、こんな中山間地にそもそも20~30ヘクタール耕せる土地がない。つまり物理的に不可能…。となれば、生きていくために、可能な方法を探りだすしかない。となると、常識にとらわれず、オンリーワンの道を行くしかない。それが、この山里に暮らすという選択をした僕の、宿命だと思う。

タイちゃんのブログ~長野の里山から~
というわけで、化学肥料を撒くために一度開いた排水溝を、再び閉じた。

満水だった水は若干減った。計雄じいさん、後日直接、報告に行くが、抗ってごめんなさい。
このまま、自分の“哲学”を、押し通す。オンリーワンを目指すべく。