2011年11月19日(土)

暗闇の時代に咲いた曲:ひまわり娘 【伊藤咲子】-太田忠(ピアノ)

テーマ:ピアノ演奏動画

もはや秋も深まりゆく頃なので、「ひまわり」などとっくに忘れ去られたような存在なのだが、1974年4月に発売された伊藤咲子のデビュー・シングル『ひまわり娘』の誕生秘話は感動的であり、今の時代にも大いに通じる。作詞は阿久悠、作曲はシュキ・レヴィ、編曲はケン・ギブソン。




当時の歌謡曲づくりに外国人を起用するのは非常に珍しいケースだと言える。これはレコード会社が東芝EMIに決まり、名ディレクターであった渋谷森久氏が伊藤咲子を本格的歌唱力の歌手にしたいとの意気込みが強く、レコーディングはロンドンで、そしてせっかくロンドンで録音するならば作曲家も編曲家も外国人を起用しようという発案だった。シュキ・レヴィはイスラエル人作曲家であり、ケン・ギブソンはビートルズの初期の頃の曲の編曲をやっていた人だ。依頼するのはかなり大変だったことだと想像する。


彼らが作った曲に作詞をしたのが、阿久悠である。当時『スター誕生』というアイドル歌手を創出する番組があり(懐かしいねえ)、プロ目線の審査によるスター登竜門番組だった。その審査員の一人が阿久悠だった。「曲名を“ひまわり娘”にしたのは、1973年から1974年にかけて世の中があまりにも暗かったからである。この暗さはたまらないと思い、暗さを呪う歌よりは明るいものにしようと思った」


1973年10月に勃発した第四次中東戦争のあおりを受けて、日本ではオイルショックが起こっていた。11月にはトイレットペーパーや洗剤などの買いだめ騒動、11月中旬には政府からの節約令が出て、テレビ放送も午後11時以降は打ち切りとなった。街灯も消されて街中は真っ暗である。


ところが、1974年1月に乗り込んだロンドンはそれ以上に悲惨だった。炭労ストにより停電がひどく、買い物をするにもローソクの灯の下でという状況だった。ホテルの暖房は入っていなかった。「日本も暗い、ロンドンはなお暗い。この寒さを“ひまわり娘”などという歌ひとつで明るくしようなんて思うのがそもそも楽天的にすぎるというもので、こりゃ駄目だな、このレコードは売れないし、伊藤咲子も気の毒ながらスターにはなれない」と阿久悠は絶望的になっていた。


レコーディングも停電時間を縫いながらやらねばならず、実働時間がひどく短い。そして、時間が少ないにもかかわらず、スタジオ関係者や楽団員はランチタイムやティータイムを長々ときっちり取る。本当にレコーディングが終わるのかとイライラが極まった。だが、最後は渋谷森久の熱々たる説得で、指揮を担当していたケン・ギブソンは食事時間を惜しんでパンを口にくわえたまま指揮棒を振り、その横でまだ15歳の伊藤咲子は実に堂々とそして朗々と歌ったのである。


「OK」と渋谷森久がコールした数秒後に停電になり、真っ暗になった。その時、暗闇の中で拍手が沸き起こり、実に感動的な光景となった。「ぼくらは、寒さと暗さを忘れた」


それにしても、本名の伊藤「咲子」が「ひまわり娘」を歌い、ピッタリのイメージを見事に出しているのには感心する。この曲をソロピアノで演奏する場合、「おおらかさ」の中にも「可憐さ」を出す必要があると感じた。小細工のない、素直な良い曲である。40年近く経ち、また暗闇のような今の時代だからこそ必要な要素が満ち溢れていると思う。




オリジナルはこちら:ひまわり娘【伊藤咲子】-太田忠(ピアノ)


太田忠の縦横無尽 2011.11.19

『暗闇の時代に咲いた曲:ひまわり娘【伊藤咲子】-太田忠(ピアノ)』

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