「言い訳」「まやかし」ばかりの年金行政などやめてしまえ② | 太田忠の縦横無尽

「言い訳」「まやかし」ばかりの年金行政などやめてしまえ②

前回のブログ の続きである。


ブログの読者の方からメッセージをいくつか頂いたのだが、「役人にクレームをつけると陰湿ないじめを受けるから、気をつけたほうがいいのでは」というものが大半で、これまた私のテンションは下がりそうになった。もう村社会の心配ごとはヤメにして、毅然とした態度であからさまな「間違い」に対してはっきりと主張すべきだと思う。とくに「行政」は我々国民ひとりひとりに直接関わってくる大事なものだ。


さて、「ねんきん定期便」の話である。これこそ「国家的まやかし」の典型的なお手本だと私は言いたい。


ねんきん定期便というのは、国民年金や厚生年金などの公的年金に加入している人あてに、日本年金機構から年に1回送られてくる郵便物であり、これまでの加入記録、ならびに加入期間や加入実績に応じた年金額などの情報を記載したものである。


私が受け取った「ねんきん定期便」は以下の通りである。

1 これまでの年金加入期間

   厚生年金保険 264 月

2 これまでの加入実績に応じた年金額

   年額 1,292,400円

   20年間受給した場合の合計額 25,848,000円

(参考)これまでの保険料納付額

     9,699,785円 


この通知を見たとたん、「これはおかしい!」と思った。約20年間納めてきた納付額の970万円(それにしても長期間だとずいぶんな金額だ)に対して、ほぼ同じ期間の受給額が2584万円になると書いてあるからである。実に2.66倍! 「えっ、日本政府はこんなに運用がうまかったっけ?」と一瞬だが夢のような気分になったのだが、すぐに目が覚めた。肝心カナメの数字が完全に抜け落ちているではないか。


国民年金であればこの記述で全く問題ない。しかし、私のように社会人になってからずっと会社勤めで厚生年金に加入しているケースでは、この表記はデタラメもいいところである。なぜならば、厚生年金というのは本人負担が半分、会社負担が半分で合計額になる仕組みの年金制度だからだ。会社側が納付額の半分を支払うのはそもそも「義務」であり、それを本人が受け取るのは当然の「権利」である。


しかしながら、通知書の納付額は本人負担の金額のみである。しかるに、「これまでの保険料納付額」のところに本人負担と同額の会社側負担額を掲載するのが筋であり、私の場合だと合計額は1940万円となる。であれば、納付額に対する受け取り額は1.33倍となり、非常に現実的なものに落ち着く。会社側の納付額を記載していなければ、誰だってリターンは2倍以上になってしまうのである。


ただし、年金額はあくまでも現在における「見込み」であり、将来的に保証されているものでも何でもない。私のような現在46歳の厚生年金受給額が支払い額に対して1.33倍ということは、いざ年金受給が開始された場合には1倍を割り込んでしまう可能性が大いにありうる。なぜならば、私や会社がこれまで支払ってきたお金は自分の為に積み立てられているわけではなく、現在の年金受給者に支払われているからである。だから、私の年金の出所は私より下の年代の人たちということになる。これが現在の年金の仕組みである。


そうすると、現在の日本の人口のピラミッド構造が変わらないとするならば、私はまだしもおそらく40歳以下の人たちは「納付額」>「受取額」になってしまうだろう。ただし、そうなったとしても、今の「ねんきん定期便」の開示手法ではそれが見えないようになっている(それを見せないようにしている、というのが正しい表現だ)。厚生年金にあまり詳しくない人ならば、たとえ実際は元本割れになっていたとしても通知書を見て納付額よりも受取見込み額の方が多いとぬか喜びしかねない。なぜならば、受取見込み額が納付額の半分になるまでは収支はプラスだからだ。トホホ、である。


そもそもこのような根本的な致命的欠陥のあるフォーマットの通知書を平気で送りつけてくる無神経さは全く理解できないが、すでに近い将来を先回りして元本割れになってもそれが「目立たない」「わからない」ように工作しているのだな、と私は勘ぐってしまうのだ。こういうのが典型的な国民への「まやかし」手法である。


内容に関するご照会は「ねんきん定期便専用ダイヤルへ」ということで、連絡してみた。もちろんこういう問題に答えられるわけはなく、「年金事務所で聞いてくれ」と言われてこちらでも聞いてみたものの「そう思われても仕方がないですね」と担当者は言うだけである。社会保険庁から改名して日本年金機構に変わっても、根本的なものは何も変わりはしない。いかにほころびを繕うか、いかにそれをカムフラージュするか、ばかりを一生懸命やっているような年金行政に未来があるはずがない。さらにこれから国民から税金をくすねて生き延びようとしている。


事業仕分けも大事だが、あれは単に枝葉の部分に過ぎない。日本政府はそもそも年金行政をおこなう能力がないのが明白なのだから、出来る部分と出来ない部分を仕分けて「出来ない部分はやらない」という決断をすることが必要である。さもなければ、国民の疲弊とともに国そのものも傾いてしまう。たとえ公的年金制度を国が提供するとしても、少なくとも自由意志で加入・脱退できる仕組みにしなければ国民は納得しないだろう。


太田忠の縦横無尽 2010.8.23

『「言い訳」「まやかし」ばかりの年金行政などやめてしまえ②』

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