西本智実 『マーラー交響曲第5番』を聴く | 太田忠の縦横無尽

西本智実 『マーラー交響曲第5番』を聴く

9月21日(月)にサントリーホールで西本智実指揮によるロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートに出かけた。曲目はワーグナーの『トリスタンとイゾルデ~前奏曲と愛の死~』とマーラーの『交響曲第5番』である。


西本さんは指揮者の世界には珍しい女性指揮者であり、その立居振る舞いは実に颯爽としており、初めてテレビで見た時に思わずタカラヅカの男役「オスカル」か、と思ったほどである。


マーラーの交響曲はほとんどが大作であり、演奏者および指揮者には相当のエネルギーが要求されるため、交響曲のみがプログラムとして組まれる場合が多く、かつアンコールも一切無しというケースがほとんどである。『交響曲第5番』は通常の交響曲とは異なり5つの楽章から成り立っており、かつ金管奏者には相当の無理強いがなされるため、その前に『トリスタンとイゾルデ』を持ってきていること自体、非常に意欲的なプログラムであることがよくわかる。普通はせいぜい、金管楽器がほとんど入らないモーツアルトの交響曲などを持ってくるのが定番というものだ。


さて、そのマーラーの交響曲であるが、今回の演奏は何とも評価が難しい。楽章によってこれだけ不出来と出来の良い部分が分かれるのを聴いたのは初めてだったからである。


第1楽章から第3楽章までは、まるで「音楽」になっていなかった。マーラーの交響曲は曲が進行していくと各パートがめまぐるしく入れ替わり立ち代りそれぞれの「主張」を繰り広げつつ、時には「豪快」、時には「鮮烈」、時には「苦悩」、時には「清楚」、時には「叙情」、そして時には「ユーモア」がオーケストラ全体のサウンドとして浮かび上がってくる。しかしながら、今回の演奏はまるでゲネプロの時間に「パート練習」をしているかのごとく、サウンドが融合せずに「音楽」にはなっていなかった。すなわち指揮者の仕事がまるでなっておらず、これには驚き痛く失望させられたのである。


彼女はもちろんロイヤル・フィルの常任指揮者ではないため、今回のツアーにあたって十分な練習時間と十分な意思疎通がないことが明らかだった。「いや、これはひょっとして楽団員が指揮者のいうことを聞かない演奏をわざとしているのではないか」と思ったくらいだった。また、要となるべき金管奏者のフレーズの吹き方が甘いのが気になった。これじゃマーラーの音楽ではないだろう。加えて、指揮者が出すテンポで非常に不自然なところが不連続に何箇所もあり、「何でこうなるの?」という感じだった。それを見かねてか、3楽章の途中で退席してしまう客が数名いた(咳が止まらずに退席する人もいたが、それ以外の人たちである)。とにかく「不自然な音楽」を聞かされるのは大変苦痛であった。


「これはまずいものを見てしまった」と思いつつ、第4楽章の有名な「アダージェット」が始まると、さらに耳を疑ったのである。なぜならば、それまでの状況とは打って変わって、実に自然なマーラーのサウンドに突然変異したからだ。そして第5楽章は途中で指揮棒を落としながらも、それに動じず、見事にマーラーの音楽を演じ切った。最後の大迫力で終わるエンディングは、まさに彼女が指揮するために作曲されたのではないか、と思うほどマッチしていた。圧倒された聴衆は終わったとたんに、「ブラボー」の掛け声、そしてスタンディングオーベーション。


西本さんの音楽を今回初めて生で聴いたので、あまり多くのことは語れないが、良い部分と悪い部分がまだかなりはっきりと出る指揮者とお見受けした。今度はぜひ、彼女のベースとしてきたロシアの楽団で一度聴いてみたいものだ。ぜひ、これから本格的に世界を舞台に活躍してほしい。


太田忠の縦横無尽 2009.9.23
『西本智実 「マーラー交響曲第5番」を聴く』

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