ハンコ屋のオヤジの嘆き | 太田忠の縦横無尽

ハンコ屋のオヤジの嘆き

会社を設立するときに真っ先に決めなければならないのが、会社の名前である。


いざ自分が代表者となって会社を起業する時、社名に関してはひとつのこだわりがあった。それは、カタカナや英文字は決して使うまい、という他人からみれば妙に思われるかもしれないこだわりだった。また、社名を見て何をやっている会社かわからないのは絶対に避けようと考えた。


私は中小型株のエキスパートだが、新興企業における業種すら想像できないカタカナの社名の会社にはロクなものがなく、名は体を表すことを十二分に知っているからだ。もちろんダメ会社がすべてカタカナや英文字の会社とは言わないが、ダメ会社になってしまう「必要条件」の要素にはなりうると本気で考えている。そこで、漢字の社名を志向し、これに強くこだわった。しかも一目見てすべてが理解できる社名でなければならない。


こうして「太田忠投資評価研究所株式会社」が誕生した。


社名が決まれば、会社の印鑑を作らなければならない。実印、銀行印、角印を俗に法人三点セットと呼ぶのだが、担当の司法書士が紹介してくれたハンコ屋にツゲの木の印鑑を発注した。注文した翌日の夕方にはできているという。なかなかのスピード商売だ。 翌日さっそく受け取りに出かけた。そこは渋谷のガード下にある小さなハンコ屋だった。


「おたくの会社は珍しいね」と唐突にハンコ屋のオヤジが私に向かって言った。別にこちらから会社の内容を話したわけではないので「なんでこの人はそんなことを聞くのだろう」と思った。突然突飛でサプライズなことを言い出しはしないだろうか、と思って少しだけ緊張した。ふと横に目をやると旋盤のような機械を回しながら、二人の職人が手作業で彫っていた。作業台の上には木の屑が大量に散らばっている。「家内制手工業」という昔小学生の頃に習った言葉が、突然ひょっこりと頭の中に浮かんできた。


「いやー、今時、会社の名前が全部漢字なんて珍しいよ。しかも、10文字。株式会社を入れると全部で14文字。印鑑に入るスペースとしてはぎりぎりだったよ」とちょっとにらみをきかせていた(ように見えた)。


確かにそうだ。今の時代、カタカナ3文字とか5文字の会社が大はやりだ。これなら彫る手間はほとんどかからない。ところが、漢字14文字は、おそらく通常の印鑑に比べて3倍くらいの手間がかかっているはずなのだ。しかも料金は同じ。そうか、これを言いたかったのか、と合点がいった。


漢字14文字の印鑑はちょっとカッコイイ。実際に押してみると、ずらっと象形文字のごとく難しい書体で彫られた美しい文字が並び、芸術品のように見える。オヤジの苦労と引き換えにすばらしいものを格安で手に入れた。


ところで、もしあなたが自分で起業するとして、会社名をつけるとすれば、どんな社名にするだろうか。ワクワクする反面、非常に難しい作業であることがおわかりになるかと思う。