続:「右・左・保守」の経路依存性・人の道をばたどらまし | Tempo rubato

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アニメーター・演出家 平松禎史のブログ

 

 

 

 

 

前回の結尾を繰り返します。

 

人の道をば たどらまし

 

過去に戻り、一筋にたどることはできないと考えることは、長く続いてきたものは良きものだという意識(経路依存性)を自覚して、自らを疑ってみよ、と言っていることになる。

 

「経路をだいじにするなら、戦前までのところをちゃんと重視して、 戻るべきだと言ってるわけでしょう」

 

そうじゃないんですよ。

 

現実には戻ることができない戦前に、戻るべきだと考えてしまう自分(だち)を疑ってみよ。

保守主義を持ち出すなら、こう意識できないとマズイだろうと思う。

 

……さて

 

水島社長は、よく「時間間隔」ということばを使います。

どういう時間感覚なのかと言えば、氏のことばによれば「戦前までのところ」ということですが、その前はどこだろう?

 

日本の歴史・時間感覚

そもそも、なぜ「戦前までのところ」なのか。

おそらく、いわゆる保守の人々は、日本の基礎が明治時代にあると考えているのでしょう。

大日本帝国憲法を制定しアジアの一等国にのし上げた偉大な明治の日本人を。

それはそれで大切です。まったく否定しません。

しかし

日本の歴史は明治以前に(律令制から数えても)1100年以上の歴史がある。

明治時代を中心に、過去千年以上、二千年以上の日本を見るのは適切か、疑問がある。

 

水島社長が言うような「物申す」を実行した歴史的事件があります。

 

・丁未の乱…仏教礼拝を巡る事件。この頃伝来した仏教を広める蘇我氏を打倒するため、神祠を守る廃仏派物部氏が起こした事件。蘇我氏が勝利し仏教が定着、物部氏は滅びた。

・乙巳の変…天皇を凌駕するほど強力になった蘇我氏を倒すため、中大兄皇子と中臣鎌足が起こした暗殺事件。皇極天皇は事態収拾のため孝徳天皇へ譲位。蘇我氏滅亡。

・白村江の戦い…百済との同盟を重視した孝徳天皇と中大兄皇子の執政は(諸説あり)、唐によって滅ぼされた百済救済のために軍を出したが、白村江の戦いで大敗。

 

以降、唐の文化(律令、歴史書、戸籍など)を積極的に取り入れて日本国成立となった。

ここまでが6世紀半ばから8世紀初頭のこと。

 

時の権力に「物申す」事例は鎌倉・室町時代にもあるが割愛します。

 

幕末には、討幕運動、戊辰戦争などを経て明治時代が始まる。

長らく続いた江戸幕府に「物申す」大変革だ。

そして、さらに似たようなことがつい最近、第二次世界大戦末期に起こる。

 

・宮城事件…国体の護持の一条件で降伏を決めた政府に翻意をうながすため青年将校たちが起こした事件。計画は失敗、青年将校は自決して「終戦の詔」は無事放送された。

 

これらは、現状を「よろしくない」と考えた者たちが時の政権に対して行った「物申す」だった。

大昔のこと、あるいは戦争中のことだったため「物申す」は実力行使を伴った。

 

それぞれの「物申す」がどうなったか。

短中期的には「ロクでもない」ことになっています。

政権に対する反政権、あるいは政権や天皇の意向を忖度した権威主義の暴走だ。

 

6世紀半ばから8世紀初頭まで

長く続いてきた神祠中心の政治に外来の仏教が侵入した。

巨大な唐の圧力に対抗したが敗北し、戦勝国の文化を受け入れざるを得なくなった。

しかし、外来文化である漢字・漢文を輸入、律令を制定して以降、長い時間をかけて外来の文化を日本文化にしていった。

大宝律令は実質的に1200年近く改正されていない。

 

19世紀末から20世紀半ば

長らく続いた東洋思想中心の政治に欧州の文化が侵入した。

先進的な西欧近代の圧力に対抗するため、明治維新で脱亜入欧、新国家建設をしたものの、昭和初期に本家である欧米に敗北。

戦勝国の文化を受け入れざるを得なくなり現在に至る。

 

歴史を鑑みて、長く続いてきたものは良きものである、の論理。保守主義的な考え方を採用するならば。

いわゆる「戦後」というものは無理に変えようとせず、継続しながら時間をかけて日本流に改めていくのが良し、ということになる。

かつての日本人は、唐の文化を1000年かけて日本流にしていった。

戦後70年なんて短い短い。

 

 

水島社長がよく言う「時間感覚」に従えば、戦前(明治以降)に戻るのではなく、1500年くらい戻って考えることだって必要なはずだ。

 

この時間感覚に耐えられるか否か。

耐えられないから「じゃあ、どうするの?」と、今すぐ変える方法をひねり出そうとする。

佐藤さんの言う通り、急進主義だ。

 

その結果は歴史が示す通り、ロクなことじゃない。

21世紀の現代は、明治の大変革がまだ腑に落ちていない、葛藤の時代なのだと思う。

 

大宝律令に従えば日本国1400年。

文化としては2000年以上。

日本人はこのとてつもなく長い経路、時間感覚の中で、長く続いたものを良しとするかどうか葛藤し、改めてきたのだと言える。

 

水島社長はこうおっしゃった。

「我々みたいな保守はそう(「戦後」からの脱却を望んでる)かもしれないが、国民は望んでいない」

「絶対平和主義みたいなことをいう連中が多数なのが今の現状だ。メディアも、政官財も!」

 

そうだろうと思う。

 

その現状を認めた上で「じゃぁ、どうするの」。

 

佐藤さんは、水島社長がかぶせてきて聞き取りにくい中でとても重要なことをおっしゃっている。

 

『国民が望んでないことをやらなければいけないかもしれない。

それを暴走させないってことは、非常に厳しいものがある。』

 

 

日本人の特質(長く続いてきたものは良きものだ=経路依存性)を自覚する。

暴走的な破壊と継承が同時並行してきた日本の歴史の中から学ぶものは多いと思う。

 

人の道をばたどらまし。

過去をまっすぐたどることはできないが、そうあれば望ましいと考える私、を自覚する。

 

そこから始めねば堂々巡りは終わらない。

 

 


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