「日本人として安倍政権に物申す」・困った時の「じゃあ、どうするの?」 | Tempo rubato

Tempo rubato

アニメーター・演出家 平松禎史のブログ

 

 

 

 

今日は『ユーリ!!!』のとある打合せをして買い物に出かけました。

穴をあけてしまったキャッツポウのハーフパンツの修理ができていたので受け取りまして、Tシャツを何枚か購入。

あまり行ったことがない吉祥寺コピスをブラブラしていたらTIMBUK2のお店を発見!

欲しかったデイバッグを買いました(^_^)

 

これで日本の実質消費を0.000…1ポイントくらいは上げることができたでしょう。

 

 

……さて

 

土曜日に公開されたチャンネル桜の「闘論!倒論!討論!」が非常〜〜〜〜に、おもしろかった。

 

5月29日に書いた拙ブログのエントリー「安倍内閣の支持率が高いのはなぜか」

http://ameblo.jp/tadashi-hiramatz/entry-12278947758.html

 

とも共通するテーマを作家の佐藤健志さんが提示しています。

 

と言いますか、ボクの最近のブログやツイッターの発言のほとんどは「考え方」に重きをおいたもので、「方法論」は二の次、まずは考え方、思想、根っこを明確にするべし、という姿勢を心がけているのは、佐藤健志さんはじめ、三橋貴明さん、藤井聡教授、中野剛志さんなど、社会通念に疑問(好奇心)を持ち明らかにしていこうとしている先生方に影響を受けたものです。

歴史・文学方面では、高島俊男さん、三浦佑之さん、今谷明さんといった先生方にも。

 

政治経済とは関連しないように見える様々な考えを聞き、読むうちに、日本の全体状況というもののリンカクが見えてきた。

 

絵を描く時に、描きたいのとは別な角度から観察する、関係なさそうなモチーフからヒントが得られる、そんなことと似ています。

立体的な見方、考え方を心がけたい。(できているかは別として)

 

 

「討論」は全3時間を3部に分けた構成ですが、ぶっちゃけ、最初の一時間目がピークです。

さらに言えば

23分30秒から43分45秒の約20分間に全てが集約されていると言って過言ではない。

 

他の論者の主張も傾聴に値するものが多々あるのは確かですが、これは「おなじみの論点」であり、おそらく戦後70年「保守にとって長らく重要とされてきた」論点なのだ。

だからどうでも良いわけではないが、なぜ、それが重要なのかをボクは聞きたい。

長らく重要だとされてきた論点を守ることに興味はなく、その根っこに興味がある。

 

そこに巨大な一石を投じたのが佐藤健志さんだった。

 

通常、登壇者が冒頭発言を一巡させ討論に入ります。

冒頭発言は長くなりがちなので、司会の水島社長が「1人3分ほどで手短に」とたしなめることがよくあります。

ところが

佐藤健志さんの提言に当の水島社長が「じゃあ、どうするの?」と返答し、応酬に次ぐ応酬で佐藤さんの冒頭発言部分は20分にまで長くなってしまった。

 

 

佐藤さんの提言の主旨を短めにまとめると、こうです。

 

安倍政権への期待、ないし役割とされたのは大まかに言って以下の3点。

1)デフレからの脱却

2)主体的な安全保障政策の追求

3)健全なナショナリズムの定着

 

一つ目、デフレ脱却が達成されていないのは明らかだ。

二つ目、日米安保、日米同盟を基軸とするアメリカ追従の安全保障政策は主体的とは言い難い。

三つ目、戦前を正当に見直す主張があるものの、戦後を肯定する政策が強い。

 佐藤さんがあげていない例で補強すれば、グローバリズムを基本にする国際承認や、国民経済を弱体化する経済政策を次々打ち出す安倍政権が健全なナショナリズムを定着させようとしているとは、言い難い。

 

なぜそうなるのか。

 

佐藤さんは「経路依存性」ということばを提示します。

 

経路依存性とは何か

過去の経緯、ないし(極端な場合は)偶然によって、いったん特定の方向性が出来上がると、その方向性を維持し続けようとする傾向(自己強化メカニズム)が生じること。

方向性が維持される期間が長くなればなるほど、自己強化メカニズムは強くなる。

 

経路依存性のもたらす結果

・現状を肯定、維持するしかなくなる。(閉塞)

・もっと望ましい方向への転換ができなくなる。(非効率)

 

 

ボクが上記エントリーで書いたのも主旨はおおむね同じことです。

経路依存性という言葉は知りませんでしたが、長く続いていることを良しとする特質がある、と表現し、ゆえに、必要なことができなくなってしまうことがある。

その状況から脱却するには、長く続いたものを良しとする特質を自覚する必要がある、と。

 

欧米にしても長く続いたことを良しとする傾向はあるのでしょうが、日本人ほど強くないと思う。

歴史上何度も、続いてきたものをひっくり返した人々ですから。

その違いを考えていくとものすごく長くなるので控えますが、簡単に書くとこんな具合です。

目に見える形、一つの真実に価値を見出す人たち

目に見えない無形、雑多なものの連続性に価値を見出す人たち

の違い。

 

日本人は後者です。

 

討論で「言挙げ」ということばが何度も出てきます。

日本人はあまり言挙げが好きではないと思う。

ボクなんかはツイッターで言挙げモドキを繰り返すので嫌われていると自覚していますからね。

 

目に見えるような形でハッキリ物申すのを好まない。

皆が納得できる、丸くおさめられる、長く続いている価値観を重んじてことさら主張しない、「空気」を重んじます。

「空気」を読まずに言挙げするのは嫌われ、無視されがちです。

 

なぜか。

おそらく現状変更…つまり革命的なことに慎重だからでしょう。

これには良し悪しの両面があります。

 

 

佐藤さんと水島社長、岩田氏が激しい応酬になったのは、「じゃあ、どうするの?」という話の大前提を崩したからだ。

 

国民が望まないことをやるのか?

という佐藤さんの問いかけに彼らは混乱し、従前の方法論を繰り返すしかなかった。

2時間目以降は特に新鮮味のない議論に終止しました。(軽視してるわけじゃないですが…)

 

「じゃあ、どうするの?」ということばは、そんなこと言わないで、これまで俺たちが長らくやってきたことをやろうよ。という弱音に聞こえた。

困った時の「じゃあ、どうするの?」だ。

その結果は御存知の通り堂々巡り。

傷を〜舐めあう〜〜道化芝居〜〜〜〜♪

 

 

ボクは、こんな考え方が必要だと思う。

 

私たちが、長く続いているのもが良きものだと考えること。

それを肯定した上で

長く続いてきたものが良きものだと考える我々が、(悪い)現状を良くするには、まず、長く続いてきたものを改めて見直すために、長く続いてきたものを良きものだと考えがちなことを自覚する必要があるのではないか。

 

という考え方だ。

 

水島社長(と岩田氏)は、その考え方、長く続いてきたことを良きものだと考える私たちを自覚できず、疑問を投げかけることができていないのではないか。

 

だとすれば

 

1)デフレ脱却の方法がある(中長期的な財政拡大)にも関わらず、実行できない。

2)アメリカに付き合っていたら戦争に関わらざるを得ないのに、それを招く日米安保とその前提としての憲法九条第二項を問い直せない。

3)ナショナリズム(国民主義)のなんたるかすら学ぼうとしない。

 

…ということになって当然でしょう。

 

そこを自覚して、ようやく、方法論…つまり「じゃあ、どうするの?」になる。

 

ヒトコトで言えば、絶望が足らない。

 

 

 

 


人気ブログランキング