平松禎史 アニメーション画集
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興味深いニュースがありました。
トランプ氏側近の論文「輸入=悪」 日本側が必死に分析
『論文を読み込んだ日本の内閣官房幹部は「すごく偏っている。輸入=悪とあるが、私が学んだ経済学とは違う」という。専門家の間でも、各国が強みを持つ製品を自国でつくり、貿易でやりとりする方が経済成長につながるという考えが一般的で、米製造業や貿易収支を極端に重視する内容には否定的な意見が多い。』
引用部分で内閣官房幹部が学んだのは、リカードの比較優位説に基づく経済学だろうと思う。
グローバリズムの根拠になっているこの説は、「国家」の枠組み(役割)を考えた場合、欠陥があると指摘されています。
自由貿易と比較優位
経済学的に合理性が高いといっても、他国に依存してはいけないものがあります。
わかりやすいのは食料や燃料、国防です。
これらを生産するのに苦手な国が、できる国に頼ってしまうことは危険だとわかりますよね。
相手に生命線を握られてしまうんですから。
世界各国が一様に自分たちを尊重してくれるのなら成り立ちますが、残念ながらそうではないし、天候や土地や人の考えは不確定で一様ではありません。
経済学の理論通りにはならないのです。
不確定要素を排除したい(グローバリズムなど)理論にとって「国」という枠組みはジャマになります。
しかし、現実には「国」の枠組みはその地域の人々にとって必要不可欠なもの。
…
「国家」「国益」「愛国(心)」など「国」の附くことばがいろいろあります。
「国」ってなんでしょう?
【国・邦】
- 一つの政府に治められている地域。国家。国土。
- 地域。地方。「北の_」
- (地方自治体に対して)中央政府。「_から県に管轄が移る」
- 古代から近世に至る日本の行政単位の一つ。大化の改新の国郡制によって定められ、明治維新後郡県制に変更された。
- 自分の生まれ育った所。故郷。郷里。「何年かぶりで_に帰る」
- 任国。領国。知行所。「紀の守_にくだり/空蝉」
- 任国を治めること。国務。「国司くだりて_の沙汰どもあるに/宇治拾遺3」
- (天に対して)地。大地。「天の壁(かき)立つ極み、_の退(そ)き立つ限り/祝詞 祈年祭」
- 国の統治者。天皇の位。また、その政務。「御_譲らむこと近くなり侍るを/宇津保 国譲中」
- 国(4)ごとにおかれた地方行政府。「_に告げたけれども、国の司(つかさ)まうでとぶらふにも/竹取」
- 国府。
大辞林第三版より
ボクらがなんとはなしに「国(くに)」と言った場合、「日本」「アメリカ」「イギリス」など国(国家)を思い浮かべる「1」の場合と、生まれ故郷や地方を思い浮かべる「5」があります。
英語の場合、前者は「state」、後者は「country」というようです。
アメリカの「state」は州を指しますが、これは独自の法律を持った「国」ほどの州を意味していますから、アメリカ合衆国とは連邦国家のようなものといえます。
英語の「state, country」の意味がそれぞれ別のものなのに対して、日本語では「国」にまとめています。
これは、『漢字と日本人』の著者高島俊男さんの指摘では、イメージしたものがそれぞれのことばになっている英語に対して、日本語の場合はイメージされたことば(和語)に後から文字(漢字)をあてたので二重の意味を持つことになったのだそうです。
古来からの日本人にとっての「くに」に明治時代にできたことば「国家」は入っておらず後から加えられたのではないかと思えます。
制度的なことばはボクらが生活の場で使うものとズレが生じます。
柳田國男の『地名の研究』では、土地の人々が言い伝えた地名があって、それが古い字(あざ)に残っているといいます。明治維新の時に変更されてずいぶん消滅してしまったが北海道や東北、九州あたりに多く保存されている、と。
近年では平成の大合併で消えてしまった伝統的な地名がありますが、それは明治時代から行われていたやり方でした。
ボクが「くに」と言って思い浮かべる順位は、第一に「ふるさと」、第二に「国家(日本)」になります。
いかがでしょう?
日本人の多くがこの順位なんじゃないでしょうか?
新しい「国家」ということば、国家を愛する意味の「愛国(心)」というものに、すんなりと同意できない心持ちは、日本人の歴史や伝統を振り返れば自然なものだと思えます。
日本人が思い浮かべる「くに」は「ふるさと」…「country」なのでしょう。
ボクは「愛国(心)」というものを政治(イデオロギー)的に強調することに違和感を持ちます。
「ふるさとを愛する」意味での愛国心がまずあって、それが横に広がって形作られる大きな塊としての「日本を愛する心」であれば違和感は少ないし、そうあるべし、と思うのです。
ふるさとをすっとばしていきなり「愛国」と言われても戸惑うばかりです。
「state」の訳語としての「国」を前提とし優先した「国家観」「愛国心」は、古来からの日本的な考え方に思えない。
西欧近代の社会制度と日本人の社会の作り方は違うのではないか。
すでに近代化された社会でこんな疑問を持ったところで詮無いことかもしれませんけどね・・・。
確かな国家観を持つ政治家などと言われた安倍首相が政府として行っている数々の政策が、土地の民のためになっていない現実は、西欧近代的な理論をもとにした政策との齟齬なのだと考えれば腑に落ちます。
「くに」の考え方がズレているがゆえに「国益」が民のためでなく「国家」のためになり、グローバリズムや緊縮財政、日米同盟(戦後レジーム)の強化に固執してしまう。
歴史やことばを振り返っていくと、現在の政治やその論じ方がねじまがっているように思えてくる。
外国の政治や、外国の土地柄から生まれた理論を参考にするのは良いとして、真似るのはそろそろおしまいにしたらいかがだろう。
ボクら日本の土地柄、人柄に合う考え方を第一にしましょうよ。
その上で外国と平和的に付き合えば良い。
そのためには、日本とは何か、を考えないといけないけどね。