今日は私たち夫婦の23回目の結婚記念日ドキドキ

もう、ドキドキマークっていう感じでもありませんが・・・


毎年、主人から感謝のメール手紙が来る。

面と向かっては言いづらいのかなあ・・・

テレでしょうか?

今日は、どんなメールが来るのかなあ・・・


結婚当初は亭主関白。

私もそういうだんな様に尽くすっていうのに憧れて

朝、出勤の時には靴下、Yシャツ、ネクタイ、スーツ・・・と

着る順番に用意して見送ったものだ。


いつから変わったかなあ・・・

地震で我が家が全壊し、私もフルタイムで働きだした頃から?


今まで洗い物などしたこともなかったのに

食器洗いや洗濯、簡単な調理なら

何でもやってくれるようになった。


二人でがむしゃらに働いた。

2重ローンに負けないよう一生懸命頑張ったグー

残ったローンを完済し、今の家を建てた家


極めつけは彼の転職ビックリマーク

4年前、息子の大学受験、高校受験を目前にした結婚記念日。

何の相談もなく、突然仕事を辞めてきた。

しかも、単身赴任中に・・・。


私は、あり得ない事態に怒りと共に失望しょぼん

相談してくれないってどういうことはてなマークNG

(彼の名誉のために言っておくが、

    本来自分勝手な人では決してない。)


単身赴任先から帰った彼は

自分の夢を語った。いっぱい、いっぱい語った

今までみたことないくらい目が輝いていたキラキラ

40代の男の人なら誰でもこのままでいいのか?

って思うころのこと。


自分も仕事をしていて

やりがいのないことはお金をいただいても

面白くないことは十分理解できた。


その時、私は戦友になろうと思った。

「頑張れ、お父さん。後は任せて!!

って言ったものの自信は全然なかったけど・・・


子供たちを集めて家族会議。

お父さんの夢をかなえてあげたいこと。

今がそのチャンスであること。

学校の心配はしなくても大丈夫だということ。

(本当は大変だった・・・。子供もわかっていたと思う)

私はなるべく明るくあっけらかんと話した。


1年間、いろいろ勉強して今の会社に転職した。

とってもイキイキ仕事をしている彼。

良かったなあと心から思う。

私だってやりたいこと、やりがいのあることを

したいから・・・


私たちの両親は失業していたことを知らない。

助けてもらうつもりはなかったので

言わずにおいた。

「きっと今までの実績でヘッドハンティングされた・・・」

くらいに思っている。


でも、これで良かったと思っている。

無用の心配からは何も生まれない。

気づいたんだけど、

次男がアメリカで苦労していたことを一言も

愚痴らなかったのは、そんな経緯をみていたからかな・・

って思える。


子供って親をよく見ているよね。

子供に恥ずかしくないよう生きていこう。

そうすれば、言葉はなくてもわかってくれる。


話は戻るが、

そんな主人は私の仕事にも

理解を示してくれるようになった。


「やりたいことをやれよ。」

「どんなことしても、今度は僕が支えるよ。」


有難うラブラブ

私も飛び立つチャンスがきたら

もっと、もっと頑張るよ。

その時は何の心配もせず、

家族のことはあなたに任せるからね。


23年もたつと、血縁がなくても

本当の家族になれるんだなあ。

これから先も夫婦っていうか戦友でありたい。

こんな勝気な私ですけど

           これからも宜しく音譜