「兄弟殺し」 読売新聞社

ニコス・カザンザキス著 井上登訳


ミモフタモないタイトルですが、結局数ヶ月かけても読み終われませんでした・・・。

救われるところのないストーリーを、これが現実だと受け取るのか、ただ当時のカザンツァキスのギリシャに対する悲壮感の局限化された現われと見るのか・・・。



洋書の選書に関しては私に乗っかってくるところの多い母も、私が手に取れずに貸し出し期間延滞状態で放置してあったこの本を読みかけてはみたようなのですが、完読はできなかった様子。でも、この本の書かれた当時から現在に至るまで、ギリシャに今も根ざしている暗い部分の所以をおぼろげながらも把握できたような気がする、といっておりました。

つまり、チラ見だけでもそのメッセージを読み手に浴びせかけてくる、ものすごく強い、凄い本だっていうことです。


―と認めつつも、読んでも読んでもズブズブと沈み込んでいくだけのようで、精神上耐えられなくなり図書館に返却しちゃいました。

ここで言う「兄弟」というのは、実際に血縁がある実の兄弟ではなく、同胞、ギリシャ人同士、といった意味合いだったのですね。それが分かっただけでもよしとしましょうこの件に関しては。


でも、図書館の書庫に、リクエストが入らない限りひっそりと眠り続けるであろう本なので、あそこにいつもあることが分かっている本なので、いつか、何かの折に再度挑戦することがあるかもしれません(あるか?む~ん・・・)。





―さて、

ギリシャ関連の書籍を中心にいくつか記事を上げてきましたが、このところめっきり減ってしまった読書数。加え、先日ちょっとおとづれる機会のあったイギリスで購入した英文の本が山とつまれて、「読め読め」と脅迫してくる状況。

ここに書くねたも少なくなってきており、記事の更新を今後するのかそれとも内容を変えてやっていくのか・・・。

今考え中です。


とりあえず、近況報告で、イギリスで私が作画を担当した漫画本が発行されましたのでよろしく!(売れてるんだかどうだか、全く連絡がありませーん)


taberna mii-BUSKERS  「BUSKERS」

*ちなみに、このカバーの絵は私が描いたんじゃありませーん。私は本文の作画担当です。

ひょんなことからこんなレポート動画をYouTubeでみつけました。


石井館長ギリシャへ行く 1~9


なにやら、K-1ワールドカップの開催をギリシャからスタートさせようという話があるらしく、その候補になりそうな会場をめぐる、という内容。

K-1については全く知らない私なんですが、ギリシャで開催となれば、これまたとてもよいギリシャの宣伝効果になりますね?

オリンピック発祥の地だ、ということで、結構乗り気な雰囲気も伺えますが・・・どうなるんでしょうか。


このレポート動画、なぜかマーク・パンサー(だったっけ?)が自主撮影のようにやっているのですが、その辺の事情はやはり、私には分かりません。


今のところ23日現在、No.9までupされているようです。

私的にはシリーズのNo.7,タベルナでのランチの風景が興味深い。そう、ギリシャで食べるギリシャ料理はウマイんだよなあ・・・。

6月中旬からのギリシャ訪問のようなので、ほんとに現在に近いギリシャの風が、ホンノ少しですが垣間見れますよー。


で、そのK-1開催は、ギリシャで決まったんでしょうか?どうなの?

ここしばらく読書から遠ざかってしまいました。

10年前くらいに Pet Shop Boys というイギリスのアーティストに入れあげて以来久々に、ミーハー的感覚が舞い戻り、あるお笑い芸人さんの動画を日夜サーチする YouTube&ニコニコ動画 な日々で、眼精疲労が激しく文字を追う気力がないのでありました。

いけませんねえ。


数週間前に読み終えていたのですが、こちら。


taberna mii


「予兆の島」 ロレンス・ダレル著 工作舎

この本は、「百年の木下で」プロジェクトのLesvosoliveさんからの紹介で知ったのですが、ギリシャの文化や遺産のみならず、その気質や民族性について知りたい方には必読の一冊です。

この本の詳細・読みどころについてはLesvosoliveさんのブログ にその詳細が述べられていますので、ぜひそちらを参照してください。


私的にこの本に関してピックアップしたいのは、巻末にちょこっとつけたしてあるエドワード・リアに関する部分。

E・リアといえば、根強いファンも実はかなりいる詩人・挿絵家ですが、私も幼少の頃からその強烈な個性にノックアウトされていた一人です。

日本でも有名なのは、「ナンセンスの絵本」


taberna mii

ですが、全く持ってこの人の作風にギリシャ的な要素をかんじたことがなかったので、実はこよなくギリシャを愛していた文化人の一人だったのだと今回「予兆の島」で知って、とても感じるところがあったのでした。


私も一応絵を書くことを本業とうたい、かつこうしてギリシャに関心を寄せる者としてブログをやっているわけですが、そのギリシャと私の創作 との間には全くといってよいほど共通性がありません。

あの突き抜ける青い空と熱波のイメージは、私の創作世界にはほぼありえませんし、ギリシャ的モチベーションでは、私の創作は立ち行きません。

対極のものに惹かれる心理、というヤツなのかもしれませんが、対極にすらあるのかどうか・・・。

なんにしても、E.リアを、勝手に身近に感じてうれしくなってしまった私なのでした。


解説によると、原本の「予兆の島」新装版には、ダレルがリアとの書簡について触れているページが含まれているそうですが、そちらのバージョンを、日本語訳として発行してほしかったなあ、と思います。初版本では、ページの都合でリアについての章は省かれてしまったんだとー。


「予兆の島」経由で、E・リアにもちょっと、目を向けてみてはいかがでしょうか。

ただ、彼の本、短いナンセンスの詩がたっぷりと載っているものだから、一気に読もうとすると疲れます。基本私は詩を読むのが苦手なので、もっぱら挿絵で楽しんでいたくちでしたよ。