「多賀城碑」 宮城県多賀城市
皆様こんにちは。
前回は不思議と謎に満ちた宮城県多賀城市の浮嶋神社 をご紹介しましたが、
本日は国の重要文化財「多賀城碑」をご紹介です(-^□^-)
明治8年に建てられたこの覆堂。
この中に日本三大古碑の一つ、奈良時代に刻まれた石碑が佇んでいます。
では覗いてみましょう(o^-')b
石碑の高さは196cm、最大幅92cm、厚さは最大で70cm。
ふむふむ、何やら刻まれています。
ハッキリ分かるのは西という文字。ちなみにこの石碑は西を向いています。
この西と言う文字の下には11行、140字の文字が刻まれています。
![食べ太郎のてくてく散歩道-多賀城碑](https://stat.ameba.jp/user_images/20110708/09/tabe-tarou-4/df/93/j/o0600045011336892604.jpg?caw=800)
前半部分にはそれぞれの地から多賀城までの距離が記されています。
京(平城京)から1500里、蝦夷国(東北地方北)から110里、
常陸国(茨城県)から412里、下野国(栃木県)274里、靺鞨国(中国東北部)から3000里
後半部分には、神亀元年に大野朝臣東人によって多賀城が設置され、
天平宝字6年に藤原恵美朝臣朝狩によって多賀城が改修された事が記されてあります。
そして最後に石碑の建立年月日、天平宝字6年12月1日の文字。
周りは緑が一面に広がっていて心が和みます(*^o^*)
多賀城碑は江戸時代に土中から、
もしくは草むらに埋もれていた中から掘り起こされたと言われています。
その後は明治8年に覆堂が設置されるまで野ざらしの状態でした。
その状態の時に松尾芭蕉もこの石碑を訪れ、
いたく感動した様を奥の細道に綴っています
「爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。
行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労をわすれて、泪も落るばかり也。」
何となくの意味しか分からなくとも、感動した様は伝わってきますね(・∀・)
そして多賀城碑は別名「壷の碑」とも呼ばれ、
歌枕(和歌の題材とされた名所)としても有名です。
さて、本日19時に本館の方では仙台市国分町の
とっても美味しいおでん屋さんをご紹介ヽ(゜▽、゜)ノ
そしてこちらは公開中!
別館の生き物写真館では食べ太郎父方実家の
犬のコロちゃん
が登場してます
併せてお楽しみ下さい!
それでは次回はいよいよ「多賀城跡」の登場です!!
■重要文化財
■場所:多賀城跡南門付近
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