加地邸見学の一日~トータル芸術としての建築 | 建築家 田口知子の日常をつづったブログ

加地邸見学の一日~トータル芸術としての建築

今週日曜日に、建築家 遠藤新氏設計の加地邸の見学会に行って来ました。


昭和3年に建てられた名建築で、三井物産ロンドン支店長だった加地利夫氏の別荘です。建築家が家具や照明、金具のひとつまで、理想の想いをこめてデザインした建築で、トータル芸術としての住宅の姿を示してくれています。


竣工から87年の月日を重ねて変わらない姿で現存していることは、この日本では奇跡に近く、保存のための努力を重ねてこられた加地一族の懐の深さは並々ならぬものと拝察します。時代を超えて存続している名建築を拝見するのは、とても幸せで貴重な体験です。


建築家の遠藤新氏は、フランク・ロイド・ライトの高弟として帝国ホテルや自由学園の設計を担当した建築家で、師であるライトの作風を引き継ぎ、日本でも多数の建築を残しておられます。この加地邸は遠藤氏が30代後半に設計されたらしく、ライトの影響を受けつつも氏の自由で独自なデザインの発露が感じられる。大谷石をふんだんに使った基壇やアプローチのピロティ、屋根の棟換気のデザインや庇の出、暖炉のデザインの自由さや、水が流れるように高低差をもって連続する居室空間。「狭い・広い、低い・高い、明るい・暗い」という心理的効果を狙った変化に富む空間の構成は心地良い。(内部空間撮影不可だったため写真はないのが残念)



 当時「拙新論争」という、遠藤氏と山本氏の論争があったことをパンフレットで読んだ知った。「住宅は、住まい手が自ら成長させ、完成させていくものだ」という山本拙郎の批判に対し、遠藤の「住まい手の希望を叶えるというのは建築家の仕事ではない。よい住宅建築とは、人間生活の環境として人に教えるに足る底の建築であるべきだ。真の建築家とはかかる住まいを作りうる者の謂であると私は信じる」と反論したという。遠藤いわく「生活改善、住宅改良は要するに能率の問題「要」の問題、必要の解決、というところを彷徨しています。必要の解決は万人の問題であります。然しまだ建築家の問題ではありません。まだもっと進んだところに建築家の領分があります。」

 必要を解決し進歩させていく「仕事」としての建築と、唯一性を持った作品芸術としての建築。この葛藤は、いつも時代にも、建築家が抱える普遍のものだ。自分のような凡人は、痛みをもって反みるしかないが、芸術家としての建築家という概念は、無上の喜び、夢を与える職能として、人を飛翔させるものとして存在し続けることに変わりはない。

建築が、一個の存在物として自立し、時代や人が変わっても生き続け独自の世界を存在させ続けるということ。建築家の思想と全体性を備えた建築は、そのような大上段で、優雅に存在し続ける建築空間は、日常の次元を超えた深い安らぎを与えてくれると思った。