人口減少社会という希望 | 建築家 田口知子の日常をつづったブログ

人口減少社会という希望

昨日は枝廣さんの読書定例会に出席しました。
広井良典先生の「人口減少社会という希望」を読みました。


人口減少について、多くの人はネガティブな未来を思い描くと思います。
「少子高齢化」「過疎化」「限界集落」や「GDPの減少」、「国際競争力の低下」、あげていくときりがない。
しかし、それらのネガティブなイメージを思いえがくとき、私たちの思考の背景に「経済成長神話」という架空の神話が、さも真実のように刷り込まれているということを発見しました。「経済成長すれば、社会が豊かになり、多くの人々が幸せになる」という神話です。

今、日本が直面している状況は、そのような神話にもとづいて生成された現代社会がすでに飽和して、行き先を失い、そのものがもっている内部構造によって人口減少社会へ移行しつつある中、過去の神話は機能しなくなっているということです。
 近代社会の神話は、「生産性」の概念を「モノ」の生産量に対し、その原価(貨幣的価値)を低くすることで利益を上げる、ということが「生産性が高い」「利益率が高い」と評価されてきました。しかし、その「原価」が、そもそも自然資源という有限なものを無償で搾取し、安い労働力を利用し、といった、不適切な「原価」によって見かけだけの「生産性の高さ」を確保していたのだとしたら、地球としてはどうなんだろうと。生産性向上と利益優先をかかげて走り続けた結果、ある地点まではうまくいっているように見えたものが、飽和点を超えて自然資源の枯渇、低賃金労働が格差を生み出してしまうのだと。
最初のスタート地点の考えが間違っていると、それを続けていく先はおかしな世界に入り込んでしまう、現代の資本主義社会はそういう袋小路に向かっていると感じます。
 失われたのは、豊かな自然資源だけではありません。人が暮らしていくための大切な基盤となる人のつながり「コミュニティー意識」というものが稀薄になっていき、孤独や自殺者の増加、貧困などが、日本で着々と進行し、社会の深い問題になっていると思います。
 
 人口減少という局面は、必然的に「経済成長神話」というものを不可能にします。そのことは逆に、人間の幸福な生活をつくる新たな価値観の創成を可能にする、目が覚める、そして新たな価値を考え始める時代に入ったという意味で「それは希望である」と。未来の価値において、生産性の高さとは「より少ない資源でより多くの満足を得る」という意味に変わらなければならない。そしてコミュニティーの復活のためには「福祉・ケア」分野、地域内経済、自然エネルギー、職人、ローカル経済など、数字だけではない新たな価値、目標を作ることが「希望になる」というお話しです。とても共感できる、大切な指標だと思いました。