1年前の地震が起きた時刻は、子どもを下校させて職員会議を始めようとしていた。
いつになく大きな揺れだったので、校内に子どもがいては大変と職員室を飛び出して見回りに走った。
・・・ということは、その頃はまだ息切れせずに階段を駆け上れたと言うことか・・・・
職員会議が終わって、テレビをつけると、この世の物とは思えない光景が目に入ってきた。
家が流されるなんて映画のCGのようで、現実としてとらえることができませんでした。
次の日は娘の短大の卒業式
こんな時にと思いながらも予定されていた事なので、仕方がなかったのでしょうね。
帰ってきたら、原発が爆発している映像が流れていてぞっとしました。
あわてて東京にいる息子に、放射能が出るようなら、全てをなげうってでも帰ってこいとメールしました。
東京でも離れていると心配なのですから、被災地に身内がいて連絡が取れない方々はどれほど心配されたことか・・・・・すぐにでも駆けつけたかったでしょうに。
そして、3月15日の予約受診日。
前回入院という話も出ていたので、夫にも今の病状を知っておいてもらった方が良いと思い、ついてきてもらった。
すると、CTの結果、肺に穴が開いている事が分かり、事の深刻さに動揺する夫。
私も、もう腹をくくるしかないと思い、休職を決意。
その足で、校長に報告。
私は病気のそぶりも見せていなかったので、母の事だと思って話を聞いているようでした。
教頭が、「ご本人がですよ」と言ってくださり、驚く校長。
休職というのではなく、しばらく病気休暇でお休みされてはいかがですかと言われたのですが、ちょうど年度末で新学期の担任のこともあるので、思い切って休職しますと宣言。
でも、それから修了式までの10日あまりのハードだったこと。
卒業式もあり年度末のまとめもありで休むことはどうしても出来なかった。
主治医からは安静にと言われていたけれど、教室や職員室の片付けもしなければならず、
どうしようもなかった。
よく、穴がふさがってくれたものです。
思い出すと、ぞっとします
病院のテレビも震災報道一色。
不謹慎ですが自分の病気を嘆き悲しまないで済んだのは、震災のおかげとも言えます。
だって、被災した方々から見たら、自分なんて全然たいしたことないって思えたから。
そんなに長くは生きられないかもしれないけれど、とりあえず今生きていることに感謝しようと思えたから。
あれから、1年。
1年生きられたことに感謝。
来年、あれから2年とブログにつづれますように