竹谷とし子です。
 
きょう3月11日、東日本大震災から満5年を迎えます。

あの衝撃はあまりにも大きく、さまざまな悲しみを胸の奥におさめて、歯を食いしばって歩み続けておられる方々もまだ多くいらっしゃいます。お一人お一人に心からのお見舞いを申し上げます。
 
参院に送って頂いて8か月目に起きた東日本大震災。私の議員活動は東日本大震災の復興支援とともにありました。

被災地①

 
公明党は被災直後に、被害が甚大だった岩手、宮城、福島各県の地域ごとに担当の国会議員を決めました。私は担当になった宮城県、そして東京に送る電気を作る原発施設の事故で甚大な被害を受けた福島県へと、現地に50回以上通い続けています。
 
被災直後に伺った女川や石巻では、被災された方から「遠くから来てくれてありがとう」「私たちも頑張るから、頑張ってね」とお声をかけて頂きました。

あふれそうになる涙を必死でこらえながら、最後のお一人に笑顔が戻るまで寄り添っていこうと心に決めました。それが私の原点です。

被災地②

 
復興の段階にあわせて、その都度、課題が出てきます。

例えば、最初は1日も早い仮設住宅の建設、その後は、冬を越すための仮設住宅のお風呂の追い炊き機能、地域生活を守るための仮設商店街、そして本格的な街づくりと住宅地造成など。

次々に出てくる課題を地元の公明議員から聞き、緊密に連携を取りながら、可能な限り現地に伺い、県や国と交渉を重ね、解決に取り組み、解決できたら一緒に喜んで、また次の課題に挑戦する。この繰り返しをこれまで重ねてきましたが、引き続き新たな決意で続けていきます。
 
私が被災地に通い続けられるのも、地域に密着している地方議員や党員、支持者の皆様とのネットワークの力があるからです。現地では仮設住宅や災害公営住宅にお住まいの方に5回目のアンケート調査も実施しました。

最も困った時、苦しい時に活躍するのが公明党と、宮城県知事からも称賛の声を頂きました。
 
4月から新たな復興・創生期間が始まります。皆様の生活再建を最優先課題に、心の復興、人間の復興を成し遂げるまで、どこまでも被災地に寄り添い、通い続ける決意です。