何のこっちゃ?という感じですが、紀元2世紀前半の

古代ローマで、時の皇帝トラヤヌスが立案し実施した、

「育英資金制度」

のことです。


当時のローマでは公立の教育機関がなく、小規模な

私立学校や家庭教師による教育が主流で、そこで

基礎教育を受けた生徒たちの中でも優秀な子たちは、

アレキサンドリアのような学術都市への留学に憧れて

おりました。

しかし、高等教育を受けるのにお金がかかるのは

昔も今も変わりません。


そこで、賢帝の名声高いトラヤヌスは、高等教育は

ある程度の収入がある家庭の子供たちだけの特権

だとは考えず、親が貧しくても優秀な子供たちが

高等教育を受けられる道を拓いたというわけです。


財源は、現代の中小企業金融公庫に相当する

機関の利子収入だったそうな。

この機関からの融資は、実質永年借款だったようで、

そうすると逆に利子収入も安定して永続します。

がんばる中小企業(小規模自作農)に融資を

促進することで利子収入を増やすことができ、

経済振興と教育援助を好循環させた、なんとも

一石二鳥な発想ですね。


さらにトラヤヌスは、皇帝直属の私的機関であった

中小企業金融公庫の利子収入を、公的機関である

地方自治体に直接歳入することで、実務の煩雑さ

もショートカットするという大胆さ。


この育英資金制度が、アリメンタと呼ばれていたの

だそうです。

だいたい、子供ひとりあたり、今のお金で月に数万円

というくらいのお金が捻出されておりました。


驚くべきは、この制度ができてからというもの、

それまで滞りがちだった中小企業からの利子の支払いが

さくさく行くようになったということ。

自分たちの払うお金が、わが町の貧しい子供たちに

教育の機会を拓くということで、農民たちも皆がんばった

ということなんだそうです。


想像ですが、以下のような会話が交わされたかも

しれませんよ。


夫「ヴォレヌスんとこの坊主、もう12歳になってん

  けどな、ありゃめっちゃ賢いで」


妻「そうやねぇ!ほんまに。うちのボンクラ息子とは

  エライ違いやわー」


夫「まぁそうやけど、うちのアホもあの子にはずいぶん

  世話になってるよな」


妻「そうそう。でも、うちの子はこの家の畑を継げるけど、

  ヴォレヌスさん解放奴隷で財産もないし仕事も

  不安定やから、あの子どないするんやろうねぇ?」


夫「そうやな。おとんが元奴隷やったりすると、やっぱり

  学問して弁護士か先生か医者になって身を立てる

  のが一番なんやろうけど、それには金がいるしなぁ。

  ヴォレヌスでは、学校に行かせる金はなかろう」


妻「あーそういえば、アリメンタ(育英資金制度)って

  できたんやってね」


夫「前に会計検査官の人が言うて  はったわ…

  なんか、俺らが払う借入金の利子を、

  貧しい家の子供たちの学資にするとか・・・」


妻「それやったら、うちも滞納してんと、がんばって

  支払っていかなねぇ。ヴォレヌスさんとこのお子ちゃん

  みたいな子のためにも」


夫「そうやなぁ。それであの子がどっかええとこで

  勉強できて、故郷に錦を飾ってやね、ばんばん

  稼いだお金で水道でも浴場でも造ってくれたら、

  こりゃええこっちゃで」


みたいな会話、意外とリアリティあると思います。

同情とかではなく、最後の夫の言葉(僕の言葉ですが)

にあるように、まわりまわって自分に還元されることを

知っていればこそかもしれません。


教育とは私的な問題ではなく、公益のためのもの

であり、それに自分がわずかでも貢献できることが

誇らしいという、いかにもノーブレス・オブリージュ。



今、高校の無償化で若干の議論が起こっている我が国

ですが、賛成も反対も、どうももらう側だけの思いで

語られているような気がしないでもありません。


「もらえるのはうれしい、助かる」

それは、実にその通りな本音なのでよしとして・・・


「そんなん、がんばって稼いでる親にしてみれば

不公平な気がする」

けちくさいです。少なくとも僕はたいした額を納税

しとりませんので、こっぱずかしくってそんなこと

言えません。


このような賛否両論、違う立場にあるようで、

実はとことん受け手発想であるところ、全く一緒です。


政府も、財源を赤字国債大発行でまかなっちゃおう

とするので、なんだか国民は造幣局がお札を増刷でも

してるかのごとき幸せな思い違いをしているのでは?

バブリーです。


前政権が国債バラまいて国の借金を国際的にも異常な

額に増やしたのを、現政権はかつてあれだけ批判して

いたのに、今や輪をかけて借金増やして、びっくりどっきり

破綻寸前状態に拍車がかかっています。まったく。


それもこれも、受け手発想しか持てなでいるバブル期

以降の僕たちに、政治家や政党が迎合し続けた結果

ではないかと思ったりもいたします。

みんな他の政党の政策をバラマキだと批判するけど、

自分のところは打ち出の小槌のような魔法の財布を

持っているようなことを言ってしまうあたり、我が国では

右は自民党から左は共産党まで、同じ穴のムジナでは

ないですかね。


小泉元総理時代の政策には、僕は賛否でいえば否の

ほうが若干多かったりしますが、具体的政策はともかくと

しても、痛みを分かち合うことをストレートに語った点は

正直だったなと思います。ちょっとだけ。


あっ、僕は、基本的に高校の無償化なんて当たり前で

未だに実現していないこと自体恥ずかしいと思っています。

(旗色鮮明にしておかないと、卑怯千万ですな)

しかし、今すぐにそれだけをやることに意味があるかどうか、

そこは熟慮が必要だと思います。

我々の社会にとって教育とは何かという総括的議論の中で

出てくる事柄だと思うので。

それにまず、財政再建と合わせて考えないと、いつかエライ

ことになりはしまいか?


…なんだか、話が暴走気味です。



古代ローマの話をして、翻って今の日本を語るのは

いかがなものか?と書いてて僕も思わないでもありません。



それで、かなり古い話になって恐縮ですが(と言っても古代

ローマよりはずいぶん最近の話ですが)、中学校の授業で

教わった、天智天皇による律令制度の確立の際、どのように

パブリックな制度があったかを知ることが、非常に有益な

気がします。


ちょっと教育の話からそれて、どちらかと言えば「福祉」に

かかわることになるのですが・・・

自由民である農民層の中で、80歳以上の老人、身体障害者、

精神疾患などを持つ人々は、「自由民」としての戸籍と権利を

維持しつつ、それとセットで負うべき兵役や税を免除されていた

と共に、必ず介護者がひとりつくべしという決まりまで設け

られていました。

ちなみに、我が国でいつまで年2回年齢をカウントしていた

のかがわからないので、80歳が実年齢なのか、それとも

40歳なのか微妙です。いずれにしても、高齢者や障害者は、

神として崇められていた側面がありました。

それは、国家主導による思想というより、もとより小さな

地域共同体にあった心情的、伝統的なものだったようです。


魏志倭人伝に、「人々が集うときには、父子男女差別なく楽しげ…」

と評された、倭国の本来のハートフルな地域社会の在り方が

目に浮かぶようです。


ただし律令制は、白村江の戦いでコテンパンに大負けした後の

安全保障上の課題などから、強力な中央集権を目指して

超特急で施行したために、地域経済などと乖離して実質が

伴わず、いろいろな禍根ももたらすこととなります。


しかし、我がご先祖たちも、何が正しいか、何がみんなの

幸せかを必死に模索して、悩んでいたわけです。


受け手発想だけではない、先人の試行錯誤があっての1500年。

その歴史の上に僕たちは繁栄を享受していながら、なんとも

ご先祖様に申し訳立たないていたらくではあるまいか。

というか、各国どころか我が国の社会史など一顧だにされない

ところが悲しくもあります。


と、支離滅裂なところで、今日はこれにて・・・おそまつ。




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