最近、とみに、大学時代に教会史を教わった

I先生とお話をしたくなっています。


大学に入った僕が、I先生の講義に出て初めて

「学問」することの楽しさを知りました。

と言いつつ、先生の講義でもしょっちゅう睡魔に

負けてたのですが><


高校時代、古典の先生が朝礼で、

「君たちは学問する必要はない。

『勉強』さえしていればいい。

何も考えず素直に、ただ教えられることを身に

つけていけば、幸せになれるから」

とおっしゃったのを聞いて、僕は一気に「勉強」を

する気をなくしていました。


その頃は反発しか覚えなかった古典の先生の

言葉ですが、今では、先生正直だったんだぁと

思わされています。

学を問う世界の土台として、強いて勉める世界を

経なければならないのは、至極当然です。

でも、当時先生がおっしゃったように、それだけで

生活力を得られるからとして止まってしまうのは、

人生ちょっと…いやかなりもったいない。


勉強にも、その先にある学問にもやる気を失って

いた僕が、学問って楽しいんだと感じさせてくださった

のは、大学で出会ったI先生でした。

いや、他にもT先生やK先生やH先生もいらっしゃる

のですが、一番楽しい時間を過ごせたのはI先生の

講義です。


先生は、「皆が言ってるから本当」だという意識を

疑うことを教えてくださった気がします。

たとえば、キリスト教を迫害したからローマは絶対悪

なのか?そこにヒューマニティはなかったのか?

あったとしたら、私たちはそれに対してどう臨めば

良いのだろう?ということを、自分で「考える」という

のは、本当にスリリングで胸がときめきます。


それを、限られた情報に基づいてやろうとすると、

けっこうすっぱり答えが出てしまうのですが、それは

非常に薄っぺらな低レベルのものでしかありません。

さらに真理に近づきたいという欲求を満たすには、

「勉強」が必要になります。

これはもう、何かのためにというよりは、本能的な

ものですね。


そういう喜びを、I先生は教えてくださいました。


今、僕は学生でもないのに(授業料払ってるわけでも

ないのに)、生命工学の研究室で、学部4年生の

若者たちが教えてもらうようなことを、教わっています。

(金さん、ありがとうございます!)

それが、なんだかとても幸せです。

ビジネスに結び付くかどうかというより、それ自体が

なんだかワクワクドキドキです。


I先生に出会ったからこそ知の喜びに目覚めて、

今を幸せに思えるのだとしたら、人生不思議です。



思春期二歩手前くらいのうちの上のチビが、この間

ホーキング博士と娘さんの共著による子供向け宇宙本を

読み、感動しつつ悩んでおりました。

もっと悩め悩め、父ちゃんだって答え持ってないし!

と思います。

悩むことが楽しいので^^


そういうことを教えてくださった先生に、いつか会いにいこう。




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