コーファックス投手が最もユダヤ人的な選手として記憶されているのは、1965年のある「事件」のせいである。このシーズンには同投手は完全試合を含む26勝を挙げた。その剛腕でドジャースをワールド・シリーズに導いた。だが、その初戦には予想に反して登坂しなかった。なぜだろうか。それは、その日がユダヤ教の祭日のヨム・キプールに当たっていたからである。そもそも、ユダヤ教では土曜日が安息日で、厳格な教徒ならばその日にはいっさいの労働に従事しない。


ユダヤ教では、その労働の範囲が広い。火を使うことが禁じられている。車に乗ることもダメである。エレベーターに乗るのは良いが、その行く先の階のボタンを押すことも労働とみなされていて、禁じられている。となると当然に野球も禁止の範疇に入る。とくにヨム・キプールは贖罪の日であり、罪の赦しを神に祈る最も神聖な日である。この日と重なったので、コーファックスはワールド・シリーズの初戦に登板しなかった。大リーグでおそらくいちばん重要な試合での投球より、ユダヤ教の戒律を優先したわけだ。ちなみにドジャースは、この試合で敗れている。コーファックスは翌日の第2戦に出場したが、敗戦投手となった。2連敗にもかかわらずドジャースは逆襲し、4勝3敗でワールド・シリーズを制した。コーファックスは第5戦と第7戦で勝利投手となって最優秀選手に選ばれている。


この「事件」以来、アメリカ英語では「コーファックス」が動詞として使われる。「コーファックスする」と言えば、宗教的義務を仕事に優先させるという意味になる。もしWBCでイスラエルが決勝に進み、大切な試合が安息日の土曜日に当たると、選手たちはどう対応するのだろうか、と興味を抱いて見ていた。しかし、安息日などとは無縁の過労死の国の選手たちのチームの活躍によって、結果を見届けられなかった。


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サンデー・コーファックス投手
「The Left Arm of God(神の左腕)」と呼ばれた彼は、登板過多による左肘の故障により30歳で引退。「お金よりも大事なものがある」「辞めた後もつづく長い人生を健康な身体で送りたい」と語った。


-了-


※「まなぶ」5月号P.54に掲載されたものです。



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