イラク北部で化学兵器が使われたとの報道がつづいている。使っているのはIS(「イスラム国」)である。昨年の10月からのイラク北部の最大都市モスルの攻防戦が最終段階に入ったようだ。


この人口200万人の都市は、2014年夏以来、ISの支配下にあった。しかしながら昨秋からのイラク政府軍や北部のクルド人の部隊などが激しく攻め立ててきた。まずモスルの東半分をISは失った。現在は西半分をめぐる戦闘が行われている。この戦闘の当初からISが化学兵器を使っているとの散発的な報道があったが、その頻度が高くなってきた。ISには多くの元イラク軍将兵が参加している。その中にサダム・フセイン時代に化学兵器を担当していた者も多いようだ。


モスルは石油産業の中心である。化学兵器の製造に必要な原料は石油から製造される。したがって、その調達は容易である。使われているのはマスタード・ガスと呼ばれる兵器のようだ。


マスタード・ガスなどの化学兵器が最初に使われたのは第1次世界大戦である。ドイツ軍がフランス北部のイープルという町で使った。その後、連合国側も化学兵器で反撃した。当時は毒ガスと呼ばれ、あまりの残虐性に、第1次世界大戦後には化学兵器の使用禁止条約が結ばれた。しかし、第1次世界大戦後にイラクで化学兵器が使われている。その経緯は次のようなものである。


よく知られているように第1次世界大戦後、戦勝国のイギリスとフランスが敗戦国のオスマン帝国のアラブ領を分割した。その過程でイギリスがイラクという人工国家をデッチあげ、これを委任統治した。この国の北部には民族的なマイノリティー(少数派)のクルド人、中部にはアラブ人のスンニー派、そして南部にアラブ人のシーア派が生活している。イラクという国はできたが、まだイラク人は、いなかった。


北部のクルド人が独立を求めて反乱を起こした。できたばかりのイラクには、これを鎮圧する力はなかった。宗主国のイギリスが軍隊を派遣したものの、第1次世界大戦で疲弊していたイギリスは、できる限り少ない兵力で安価に鎮圧しようとした。そのためイギリスは、当時の二つのハイテク兵器を組み合わせた。つまり空軍を派遣して、化学兵器をクルド人に対して使用したのである。これがイラクで最初に化学兵器が使われた例となった。


>>次回 につづく


※『まなぶ』(2017年4月号)38~39ページに掲載されたものです。