THE PAGE(ザ・ページ) に、2015年12月6日に掲載された記事です。


11月24日に起きたトルコによるロシア機撃墜は、両国の深刻な対立を招きました。「領空侵犯」をめぐる双方の言い分は食い違っていますが、ロシア側は外相のトルコ訪問を中止したり、トルコに対する経済制裁を決定したりしています。しかし、トルコとロシアの対立の歴史は今に始まったことではありません。15世紀以降の「帝国」時代から第二次大戦後の現代にいたるまでの両国の歴史を、放送大学教授の高橋和夫氏に振り返ってもらいました。


15世紀以降で17回の戦争


11月末にトルコとシリアの国境付近でトルコ空軍機がロシア軍機を撃墜しました。撃墜されたロシア軍機のパイロット二人はパラシュートで脱出しました。一人は無事に救助されましたが、他の一人は地上からの銃撃で死亡しました。一方でトルコはロシア機が領空を侵犯したので警告を与えた後に撃墜したと主張し、他方ロシアは領空の侵犯はしていない。また警告もなかったとしています。この事件を受けて、即座にトルコはNATO北大西洋条約機構の緊急理事会の招集を要請して、NATO諸国の支持を要請しました。ロシアの方は、一部食料のトルコからの輸入を禁止するなどの経済制裁を発表しました。


両国関係は険悪な様相を見せ始めたわけです。どちらの主張が正しいのかを判断する材料は筆者にはありません。しかし、この事件によって両国関係が突然に悪化した背景には、両国間の歴史的な対立があります。現在のトルコという国は「オスマン帝国」の継承国です。オスマン帝国は、かつてはイスタンブールを首都としアジア、アフリカ、ヨーロッパにわたる広大な領土を支配していました。その北東に誕生したのが「ロシア帝国」でした。ロシアは、南方へと拡大します。冬になっても凍らない港、いわゆる不凍港を求めての南進でした。その過程でオスマン帝国と衝突しました。こうした戦争の幾つかは、クリミア戦争や露土戦争として知られています。


15世紀以来、数え方にもよりますが両帝国は17回も戦争を戦っています。そしてオスマン帝国が単独で勝利を収めた例はありませんでした。戦績は、いわば東京六大学野球の法政と東大の対戦記録のようなものです。もちろんロシアが法政でオスマン帝国が東大でした。戦争のたびにロシアは鰹節でも削るようにオスマン帝国から領土を奪い取りました。したがってトルコ人にはロシアに対する恐怖心があります。歴史がDNAに埋め込んだ脅威認識です。今回の事件は、そうした苦い記憶をトルコ人の心によみがえらせたのでした。


ちなみにトルコ人の日本に対する好意の背景には日露戦争での明治日本の勝利があるでしょう。こうした日本人に対する感情はトルコ人ばかりでなく、イラン人、ポーランド人、フィンランド人などにも共通しています。いずれも大国ロシアの隣人たちです。


トルコのNATO加盟と冷戦


この脅威認識は、オスマン帝国がトルコになり、ロシアがソ連に代わっても続きました。第二次大戦が終わった1945年には、ソ連はトルコに対する領土要求を突き付けます。ソ連と国境を接するトルコ東部のカルスとアルダハンという2つの地域を要求します。トルコは、これを拒絶します。そして欧米諸国に接近します。1949年にNATO北大西洋条約機構が成立すると、トルコは加盟を申請します。しかしながら、西ヨーロッパ諸国はNATOの範囲をトルコにまで広げるのに冷淡でした。その西ヨーロッパ諸国を説得するのに一役買ったのが朝鮮戦争でのトルコ軍の奮戦でした。


1950年に朝鮮戦争が始まるとトルコは国連の要請に応えて派兵しました。トルコ軍は勇敢に戦いました。これは、小国トルコのソ連に対する痛々しいまでのメッセージでした。侵略を受ければトルコは徹底して戦うという意志表示でした。また欧米諸国に対してもトルコが信頼に足る同盟国であると、証明しました。その結果、欧米諸国は、1952年にトルコのNATO加盟を認めました。


朝鮮半島で停戦の成立した1953年までの期間に、結局1万5000人のトルコ軍将兵が朝鮮半島で戦いました。トルコ軍は勇敢な戦いぶりで賞賛を集めました。しかし1000人近い死者と行方不明者を出し、また2000人以上が負傷しました。合計で3000人が、戦死したり、行方不明になったり、負傷したわけです。派遣兵力の二割が犠牲となりました。トルコ軍の血みどろの闘いぶりでした。あたかも流されたトルコ将兵の血がNATOへの入場料であったかのようでした。現在でも朝鮮半島南端の釜山の国連軍墓地に多数のトルコ軍兵士が眠っています。


NATOに加盟後は、トルコはアメリカの空軍基地を受け入れました。また核兵器を搭載したアメリカの中距離弾道ミサイルの持ち込みを許可しました。NATOの忠実なメンバーとして冷戦の最前線を守っていたわけです。その結果、ソ連との関係は険悪でした。


しかし冷戦が終結し、ソ連邦が崩壊するとトルコとロシアの関係は改善されます。トルコはロシアのエネルギーを必要とし、ロシアはエネルギー市場としてトルコを重視しているからです。現在トルコの消費する天然ガスの6割近くがロシアから送られています。両国は経済的な相互依存関係にあるのです。


シリア情勢が両国に再びヒビ


この両国関係にヒビを入れたのがシリア情勢です。シリア情勢に関しては、両国は対立関係にあります。ロシアがシリアのアサド政権を支援しているのに対し、トルコは反アサド勢力を支持しているからです。経済的な相互依存関係と外交的な対立関係が併存するという複雑な様相を呈しています。ロシアにとってもトルコにとっても相互依存関係を破壊するような行為は得策ではありません。天然ガスや原油といったエネルギー輸出の停止が含まれない限り、ロシアの制裁は本気ではないわけです。


経済関係の枠組みを壊さない範囲での、シリア情勢をめぐる綱引きが両国間で行われるでしょう。とりあえずは、ロシアはトルコの支援する反アサド勢力への爆撃を強化するという形で今回の撃墜事件に対応すると予想されます。



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