アサド体制


シリアの将来を展望する際に押さえておくべきポイントの一つは、その支配体制である。シリアのバース党独裁体制とは、宗教的な少数派のアラウィー派の支配体制の別名である。アサド独裁とはバシャール・アサド大統領個人の手中への権力の集中ではない。アラウィー派支配の核心はアサド家と周辺の人々への権力の集中である。この体制が、民衆の大規模な民主化を求める抗議行動に直面している。その対応をめぐって体制内部で意見の対立があるとの見方が広がっている。具体的には、穏健なアプローチを志向するバシャール・アサド大統領と強硬な対応を主張する弟のマーヘル・アサドの間での綱引きである。


そもそもアサド家には4人の息子がいた。長男のバシールがハーフィズ・アサド前大統領の後継者と考えられていたが、1994年に交通事故で死亡した。ロンドンで眼科医としての教育を受けていた次男のバシャールが急遽帰国し、後継者として育てられた。そして2000年に父親のハーフェズが死亡すると大統領に就任した。激しい性格と伝えられる3歳年下の弟のマーヘルは、軍人として教育を受け、戦車部隊の指揮官を経験し、現在は軍の精鋭部隊である共和国防衛隊と第4師団の司令官の職にある。共和国防衛隊はアラウィー派の将兵のみで構成されている。そもそもシリア軍の将校団の大半がアラウィー派である。なお四男マジードは、つい最近病死している。マーヘルが代表するのは軍、そして数万人の要員を擁する治安当局の意向である。それゆえ、バシャール大統領も弟を軽視できない。抗議行動への対応が手ぬるいとしてクーデターを起こされる可能性も排除できない状況のようだ。2008年には親族によるバシャール大統領に対するクーデター未遂が報道されている。


>>次回につづく


※『石油・天然ガスレビュー』2012年1月号に掲載されたものです。


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