シリアの体制を支えているのは軍であり、軍を支えているのはアラウィー派の将校団である。シリア軍はアサド家支配の継続のためだけに戦っているのではない。アラウィー派のシリア社会での生存を賭けて戦っている。シリアの人口の75パーセントはイスラム教のスンニー派である。アラウィーは、人口の12パーセントの少数派である。アラウィーというのはアラビア語のアリーの形容詞系でアリーを神聖視する人々という意味である。アリーは、イスラム教の預言者ムハンマドの四代目の正式な後継者である。アリーを崇拝する点ではシーア派に近い。


だが、アラウィー派はコーラン以外の聖典を持っている。またアラウィー派はモスクを建設しない。しかも、ムハンマド、アリー以外のサルマン・アル・ファールシーを神聖視する。この人物は、メディナでムハンマドの知己を得、イスラム教に改宗したペルシア人である。アラウィー派の儀式は公開されていない。こうした特徴から、長らくイスラム教徒の大半からは、異端視されてきた。オスマン帝国は、アラウィー派をイスラム教徒はおろか、経典の民としても扱わなかった。つまりキリスト教徒とユダヤ教徒以下とみなされていた。アラウィー派はシリア北部の港湾都市ラタキアの東部のヌセイリア山脈に隠れるように生活していた。


第一次大戦後、この地域の支配者がオスマン帝国からフランスに変わると、アラウィー派の多くは、フランス当局に協力して軍に職を求めた。独立後もアラウィー派は貧困から逃れる手段として多くが軍に身を投じた。こうして将校団にアラウィー派の比率が高くなった。同時にアラウィー派はアラブ民族主義を謳うバース党に引かれてゆく。民族主義を強調するのであれば、アラウィー派もアラブ人であるから、参加できるからであった。アラウィー派は軍とバース党で影響力を強めた。そして1970年代に故ハーフェズ・アル・アサドがクーデターで権力を掌握した。その死後は、バシャ―ル・アル・アサドが後継者となり現在に至っている。


アラウィー派が異端であり、アサド政権に正統性がないとの認識はスンニー派の多くに共有されている。たとえばムスリム同胞団に影響力が強く、しばしばアルジャジーラに出演するカルダウィー師は「異端の政権」とシリア政府を決めつけている。またシリアのスンニー派の指導者は、亡命先のサウジアラビアのテレビで「神に誓って、彼ら(アラウィー派)の肉をミンチにして犬のエサにする」と呪っている。


こうしたスンニー派のアラウィー派に対する憎悪の深さを知れば、アラウィー派の戦いが生存を賭けたものだと理解できるだろう。流血は、まだまだ続きそうである。そして、仮に政権が倒れた場合にはスンニー派による虐殺を恐れるアラウィー派の難民がイスラエルを含む周辺諸国へ流入しようとするだろう。

(2月28日、記)


畑中美樹氏の主宰するオンライン・ニュースレター『中東・エネルギー・フォーラム』に2012年3月2日(金)に掲載された文章です。


現代の国際政治―9月11日後の世界
高橋 和夫
放送大学教育振興会
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