2012年1月3日ターレバンが、アメリカとの交渉のため、カタールの首都ドーハに事務所を開設すると発表した。これまでのターレバンの公の立場は、外国の軍隊がアフガニスタンから撤退するまでは、交渉に応じないというものであった。今回の発表は、明らかな方針の転換である。なぜ、この時期に開設を発表したのかは、明らかではない。一部の専門家は、アメリカ軍などによる激しい攻撃が成果をあげてきた反映だと見ている。明らかなのは、ターレバンがグアンタナモに収監されている数名のターレバン関係者の釈放を求めている点である。この中にはターレバン政権の国防副大臣であった人物も含まれている。逆にアメリカは2009年にターレバンの捕虜になった一名の兵士の解放を望んでいる。まず、双方によって拘束されている人員の交換が、最初の交渉の議題となるだろう。


アメリカ軍を主力とするNATO軍は、2014年に治安権限をアフガニスタンのカルザイ政権に委譲する予定である。だが、それまでにターレバンを叩き潰して治安を十分に安定させることができる、との楽観論は存在しない。治安の安定のためには軍事力だけで不十分である。ターレバンとの政治的な妥協が不可欠である。今回の事務所開設が、その第一歩となればと期待されている。11月の大統領選挙前に何らかの成果を出せれば、オバマには大きなボーナスとなるだろう。


これまでもターレバンとアメリカの間で全く接触がなかったわけではない。2010年のドイツのボンでのアフガニスタンに関する国際会議では、ターレバンとの交渉の必要性が論じられたし、2011年以来クリントン国務長官もターレバンとの対話に言及してきた。今回の事務所開設についても、トルコのイスタンブールやサウジアラビアのリヤドなどの名前も浮上し、双方でやりとりがあり、ドーハに決着した。


注目すべき点は、この事務所を開設に踏み切った勢力が、どれほど現地のゲリラを掌握しているかどうかである。ターレバンは一枚岩の組織ではない。今回の事務所開設に踏み切ったのは、パキスタンに潜伏しているモッラー・オマルの勢力である。オマルは、2001年のアメリカの攻撃以前にアフガニスタンの指導者であった人物である。アメリカ軍などの攻撃により次々と古い世代の幹部が殺害され、ターレバン指導層の若返りが伝えられている。また同時に若い層は、より過激とも信じられている。オマルの統率力が問われている。


カタールのドーハにはイラク攻撃の前線司令部となった巨大なアメリカ軍の基地がある。そしてアメリカのイラク戦争に批判的だった衛星テレビ「アルジャジーラ」の本部がある。アルジャジーラは、ビンラーディンがメッセージを世界に発信するのに利用したメディアでもある。またアルジャジーラは、ターレバン報道では他局をリードしてきた。そして今回ターレバンの事務所が開かれる。ますますドーハが、にぎやかになってきた。

(1月8日、記)


畑中美樹氏の主宰するオンライン・ニュースレター『中東・エネルギー・フォーラム』に2012年1月10日(火)に掲載された文章です。


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