「ウィキリークス」が入手した2010年1月のドバイ発の米国務省の公電の内容として、アフマドネジャド大統領が、主席補佐官のエスファンディヤーリ・ラヒーム・マシャイを次の大統領候補として考えていると『ガーディアン』紙が報じた。残り2年でアフマドネジャド大統領の二期目の任期が終わる。イランの憲法によれば大統領の三選は許されていない。つまり2013年にアフマドネジャド大統領は前大統領になる。その2013年の大統領選挙をめぐり、早々と駆け引きが始まりつつある。


こうした議論の根拠は、アフマドネジャド大統領の「私は喜んでマシャイ政権の副大統領として働く」と言う発言である。イランの憲法は三選を認めていないが、一期空ければ再度の大統領職への就任は妨げていない。マシャイが大統領を4年務め、その後に再度アフマドネジャドが大統領になるのも理論的には可能である。ロシアでは、プーチン前大統領がメドベージェフ現大統領の後に再び大統領になるものと推測されているが、アフマドネジャドがイランのプーチンであり、マシャイがメドベージェフになるのだろうか。


マシャイはアフマドネジャド大統領に最も近い人物として知られると同時に様々な言動で議論を巻き起こして来た。たとえば「イランはイスラエル人の友人」と発言して保守派の怒りを買った。また特権を利して潤った人々のリストを公表して、宗教界の反発を招いた。その多くが宗教指導者であったからだ。アフマドネジャドは、宗教指導層の特権階級化を批判してきた。不正な不当な蓄財に励んできたと攻撃して庶民の支持を集めてきた。その反利権キャンペーンの先頭にマシャイは立ってきた。


2009年に大統領の任期の二期目に入るに当たり、アフマドネジャド大統領がマシャイを第一副大統領に任命した。これに対して最高指導者のハメネイがマシャイの罷免を求める書簡を出した。マシャイは辞任したが、大統領は即座に主席補佐官に任命した。最高指導者の書簡に形の上では従ったのだが、その内容を無視したとも取れる大統領の人事であった。


そのマシャイは、隠れイマーム(シーア派の救世主)の再臨が近いと信じているとされる。また同時にイスラム性よりもイスラム以前のペルシア文明を賞賛することでも知られている。たとえば大英博物館からキュロス大王の「人権憲章」の円筒印章を借り受けイランで展示した。この円筒は同大王がバビロンを陥落させた際に発した宣言を記している。その中でキュロスは諸国民に自由を約束した。当時バビロンに捕らわれていたユダヤ人たちも帰国が許された。キュロス大王への追憶は、イスラムよりもペルシア民族主義の流れを強調するメッセージである。これは、宗教指導者の支配する現体制への批判とも解釈できる。


保守派はマシャイの言動を激しく非難してきた。やむなく大統領は4月上旬にマシャイを主席補佐官の職から解任した。しかしマシャイは、依然として大統領の顧問である。


マシャイは、1960年生まれで工学部出身である。2008年に大統領の息子とマシャイの娘が結婚した。
(4月26日、記)


* 畑中美樹氏の編集するオン・ライン・ニューレター『中東・エネルギー・フォーラム』に4月28日(木)掲載された文章です。


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