[パワー・バランスの変化]


近所付き合いは難しい。国際関係でも同じである。日本は中国とは尖閣諸島を、韓国とは竹島と、ロシアとは北方領土の問題を抱えている。これは、日本が膨張主義であるとか、韓国や中国が特に貪欲とかが理由ではないだろう。領土問題は、国境を接する国の間では、よくあるものなのだ。ドイツとフランスはアルザスとロレーヌという地域の所有をめぐって19世紀から20世紀にかけて争った。イランとイラクも1980年から1988年まで8年間に渡ってイラン・イラク戦争を戦ったが、その理由は少なくとも部分的には領土問題であった。日本と中国の尖閣諸島をめぐる問題は、特別な事件ではなく国境を接する国の間で良く起こる現象である。これが、この問題の理解の基本であるべきだ。両者共に冷静さが求められる。これが日中関係を考える際の私の第一の視点である。


しかし、この近所づきあいの難しさという以外にも、日本と中国の間の問題には、単なる良くある国境紛争以上の複雑さが存在する。


日中関係の構造を理解するには、近所づきあいは難しいという第一の視点を含め、少なくとも五つの視点が求められる。その第二は歴史の問題である。1930年から1945年にかけての日中戦争の記憶が、中国では深く刻まれている。これが、日本との領土紛争に他の諸国との争いとは違う感情的な側面を与えている。我々は歴史の影に生きているという事実を忘れてはならない。


第三は、東アジアにおけるパワー・バランスの変化である。つまり日中間の力関係が変わりつつある。日本の経済力は頭打ちであり、中国の経済は急速な発展を遂げている。力関係の変化は、おうおうにして管理するのが難しい。ヨーロッパにおいては、たとえば1871年の統一ドイツという新しい強国の登場が、国際政治の枠組みを突き壊した。そして第一次さらには第二次世界大戦の伏線となった。アジアにおいては1975年のサイゴン陥落後による統一ベトナムの台頭は、東南アジアを揺り動かした。ベトナムは、その後にカンボジアに軍を進めポルポト政権を崩壊させた。しかし、ポルポト政権を支援していた中国は、ベトナムに軍隊を進めて両国は国境での武力衝突を経験した。統一ベトナムという新しい大国の成立が、こうした二つの戦乱の序曲となった。中国の経済的な台頭が周辺との武力衝突の背景とならないことを祈るばかりである。


>>次回 につづく


*2013年にラジオ放送を開始する『国際理解のために』という番組の制作とテキストの執筆を始めています。これは、テキストの草稿の一部です。番組は、国際政治などに知識の薄い層を対象としています。森巣博氏の言葉を借りれば「ちゅうさん階級」
つまり中学三年生ていどの知識しかない層です。


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