現在、イランとアメリカの関係に関する書籍を準備中です。その草稿をご覧ください。


----------


第9章 冷戦の終結とアメリカの中東政策


地殻変動


1987年の安保理決議598号の成立から1988年の停戦の実現までの時期が、ある意味ではその後のペルシア湾岸情勢の行方を決定した。なぜならば、この期間にイラクの軍事力は飛躍的に増大し、逆にイランの軍事力は大幅に低下した。これによってイラクは、イランからの脅威から解放された。イランの軍事力が低下している間は、イラク軍には行動の自由があった。この戦争を通じて、イラク軍は、化学兵器やミサイルで武装した総兵力百万のフランケンシュタインに成長していた。その怪物をつないでいたイランの圧力という鎖が切れたわけだ。こうしてイラン・イラク戦争が終わった時には、フランケンシュタインは歩き出せる状態にあった。


その後の中東の地域情勢の展開に、このフランケンシュタインが大きな影響を与えた。しかし、フランケンシュタインの足取りを追う前に、1980年代末に起こった国際政治の地殻変動を理解する必要がある。なぜならば、その変動がアメリカの中東政策を変えたからだ。


地殻変動とは、言うまでもなく冷戦の終結である。象徴的にはベルリンの壁の崩壊をもって冷戦は終結したとされる。1989年11月9日の事件である。だが中東から見ると、冷戦はその2年前に終結していた。既に見たように1987年にイランに停戦を求める安保理決議598号が成立した。米ソが協力してイランの野心を抑え込もうとした例である。もう一つだけ冷戦終結の兆しを挙げれば、同じ1987年にソ連はアフガニスタンからの撤退を表明している。その期限は1988年の5月であった。そして、その期日までにアフガニスタンから軍を撤退させた。冷戦は中東で終わった。



>>次回 につづく