学校でマンガの読み方を教えて欲しい | モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

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水木しげるの「水木しげるの遠野物語」を読んでいたら、妻が横取りして、20分位で目を通して、「読んだ」と言って返してきました。

 

妻は一応誰でも知ってる女子短大の卒業生で、誰でも知ってる上場企業に勤めています。そんなオンナがそれは無いだろうと、一瞬憤りを感じました。
(でもウチは妻が全権を掌握した独裁専制体制下にあるので、モンクは言えない。直接モンクを言えないのでブログにモンクを書く他、憤りを表明する手段がないのであった)

 

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妻は「読んだ」と言ってるけど、読んでないんですよ。
フキダシのセリフを「ナナメ読み」だけで、マンガとしては全然読んで無いのです。

 

つまり、「マンガの読み方」を正しく理解していない。


「マンガを読む」と言う事は、フキダシを「読む」だけと、思っている人が現にいる訳で、そんなのがウチに一匹いる(それが誰とはコワくて書けないけど)と言う事は、世界中にも大勢いるって事だと思う。

 

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「水木しげるの遠野物語」は、


・水木サンが自ら遠野に足を運び、柳田国男「遠野物語」の舞台を訪ねながら、
・柳田国男「遠野物語」の内容をマンガで紹介しつつ、
・水木サンならではの観点で感想や感慨を表明する、

・最後は柳田国男と水木サン自身が対談してしまう。


という内容の物です。

 

なので、まずは柳田国男の「遠野物語」踏まえておかなければいけません。


そして、水木サンが遠野の世界をいかに描写するか、
柳田国男の「遠野」を水木サンが如何にマンガ化するのか、
そして水木サンは何を想うのか、
と言う事を「読」まなければいけないのです。

 

・水木サンのことですから、「遠野の風景」は細密に描かれています。それは一種芸術として鑑賞されなければならない。


・柳田国男の「遠野」の各エピソードは水木マンガならではの”雰囲気”にてマンガ化されている。それを堪能しなければならない。

(例えば、オクナイサマが田植えを手伝ってくれる話なんかは、原作でもいい話なのに、水木サンの手にかかると「感動的なマンガ」となる、等々)


・水木サンならではの観点で感想や感慨は、自分の柳田国男「遠野」の感想と対照して、流石水木サンだなあ」と感心し、水木サンならではの水木サンぶりに浸らなければならない。

 

なのに、フキダシのセリフをザッと斜め読みしただけで「読んだ」と言っちゃうヒトがいるのです。で、わざわざ青空文庫から柳田国男の「遠野物語」をダウンロードして、読むよう妻に奨めたのですが、「もう読んだから良い」って。

 

私だったら、例えば大友克洋「AKIRA」なら、第一巻冒頭3~7頁(の5頁)で、フキダシは無いにもかかわらず30分位は固まっちゃうよ。

 

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こんなヒトには、「マンガの読み方」をきちんと教える必要があると思う。

 

なので、学校でマンガの読み方を教えて欲しいです。

開成中学の入試問題にもマンガについての問題を出して欲しいくらい。