宮崎駿と戦争について つーか、未来少年コナンはやっぱり凄かったの巻(上) | モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

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宮崎駿の「風立ちぬ」を見ました。

 

この作品は、鈴木敏夫PDの「宮さんは一度戦争に向き合うべきだ」との想いから生じたらしいのですが、結果として戦争映画らしいシーン(つまり戦闘シーン)を描かない作品となっています。戦況についても、謎のドイツ人や友人との世間話として触れられるだけで、敢えて「戦争」そのものを見せないような作りとなってます。

 

何か釈然としなかったので、原点に立ち返る意味で「未来少年コナン」を最初から最後まで見直してみました。(ヒマなればこそできる荒技です)

 

すると、実はそこにすでに戦争が描かれていたのです。

 

今時「未来少年コナン」を最初から最後まで見る人もいないでしょうから軽く説明しておくと、

 

西暦2008年7月(もう終わってるじゃん)、核兵器を遙かに上回る超磁力兵器のため地軸はねじ曲がり大陸は悉く海に沈んでしまって地球は一旦滅亡します。それでも人間は僅かに生き残って居り、それから20年後の物語として語られます。

 

物語は主に、①インダストリア(工業地帯の生き残り)と②ハイハーバー(田園地帯の生き残り)を舞台として展開され、話の中盤の山場として、インダストリアとハイハーバーの戦闘が描かれます。

 

インダストリアは軍艦や小銃、ロケット砲といった軍備を以て一方的に侵攻を開始し、対してハイハーバーは丸腰なので一旦武力制圧されてしまうのですが、村人のゲリラ戦と、最後には地殻変動による大津波が来て戦争どころではなくなり、結果的にハイハーバーが勝利、インダストリア軍は武装解除されてしまうのです。

 

箱庭の戦争のような小なものなのですが、小さいだけに戦争というもののエッセンスが抽出されているように思いました。


(続く)