昨日江戸文化歴史検定2級の試験を受けてきたわけですが、過去問を勉強してたら去年の問題で「テクニックで解ける問題」のちょうど良い例があったのでご紹介します。
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第5回江戸文化歴史検定(平成22年度)
2級 第89問
明和・安永期(1764~81)は、錦絵の登場や黄表紙の誕生、そして『解体新書』の刊行をはじめとする蘭学の興隆など、文化・学術面の画期でした。この明和・安永期は、(い)から(に)のどの時期にあたるでしょう?
寛永―(い)―元禄―(ろ)―享保―(は)―寛政―(に)―天保
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という問題です。
答えから言うと正解は(は)なんすけど、この問題は知識が全くなくてもテクニック(というかなんというか…)だけで解ける問題なのでした。
なぜなら、この年の試験では、他に以下のような問題が出ていたからです。
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第79問
享保6年(1721)の人口調査では、全国の庶民の人口は約2630万人でした。その125年後の弘化3年(1846)の調査でも約2710万人とあまり変わっていませんが、国別にみると変動がありました。では、この125年間に大きく人口が増えた国は、次のうちどこでしょう?
い)薩摩
ろ)常陸
は)陸奥
に)山城
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第55問
右の絵は、歌川豊国の役者絵です。江戸の歌舞伎が華やぎだした天明から寛政期(1781~1801)にかけて大坂で修業し、「生写し」という芸風を追及して渋い役柄で人気を博した、この役者は誰でしょう?
い)2代目瀬川菊之丞
ろ)4代目市川団蔵
は)5代目松本幸四郎
に)7代目市川団十郎
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これ以上はもう言わんでもわかるね…