「事故が起きても責任を負いきれないのに、引き続き原発を推進するのは筋が通らない。

国民に負担を求めるなら、まずは原発と決別する姿勢を明確にすべきではないか。」

原子力ムラの横暴をこのまま許していいのか? 
新聞各紙の読者への呼びかけ、真摯に受け止めていただきたい。

 高知新聞・社説
【福島賠償費】国民負担を求めるなら
【結局、政府は電力会社を保護し、原発事故の莫大(ばくだい)な費用負担を国民につけ回す方針のようだ。

中間提言案の理屈はこうだ。
 万一の事故への備えは本来、福島第1原発事故以前から確保されておくべきであった。「過去に安価な電気を等しく利用してきた」のだから契約する電力会社にかかわらず負担してもらう―。
 原発は事故リスクに備える必要があり、決して安価ではないと宣言しているに等しい。過去の原発推進の理屈とも矛盾する。 

負担を巡る論議も過程が見えにくい。託送料や電気料金に上乗せする手法によって国民負担が際限なく増えていく危険がある。
 言うまでもなく事故対応費用は本来、東電が負担すべきものだ。その原則を踏まえ、負担問題は透明性の高い論議や国民が納得できる仕組みが求められる。

国民に費用負担を求めるということは、政府も電力会社も事故対応に限界があることを示している。原発リスクの大きさを改めて物語るものでもある。

 一方で、政府は全国の原発の再稼働を推し、電力大手も原則40年の運転期間の延長を進めている。事故が起きても責任を負いきれないのに、引き続き原発を推進するのは筋が通らない。

 世論調査でも国民は脱原発を望んでいる。その国民に負担を求めるのなら、まずは原発と決別する姿勢を明確にすべきではないか。】一部抜粋


毎日新聞・社説
託送料の上乗せ 国会を通さない増税だ
【原発関連の費用を国民に負担させるのであれば、税金で賄うことも考えられるはずだ。託送料は電気を使う以上、いや応なく負担させられる。消費者にとっては税金と大差ない。

 しかし、税金で賄うとなれば国会の審議が欠かせない。倍増した事故処理費用の積算根拠や国民に負担させることの是非、事故を起こした東電、原発事業を監督する国の責任なども厳しく問われるはずだ。

 託送料方式では、そうした議論は回避され、国民負担という結論だけが残る。国会を通さずに増税するようなもので、ご都合主義と言わざるを得ない。】一部抜粋

 河北新報・社説
原発事故の処理策/国民不在の結論は言語道断
【一省庁の「お手盛り」で国民に新たな負担を強いるなどもっての外であり、議会制民主主義とも相いれない。少なくとも、国民の政治的代弁者である国会議員の真剣で開かれた議論を経なければ、到底認められない。

電気料金への上乗せは広く薄く集めるということだろうが、電力自由化で参入した新電力にまで負担させるのはおかしい。原発事故には何の責任もないのだから、全く理不尽な負担だろう。

 それにしても原発事故の処理費用の巨大さには驚かされる。1回の事故で、被害額が21兆円にもなるのは原子力以外にはまずあり得ない。
 
 場当たり的に費用を賄えば済む話でなく、原子力という技術を採用することの妥当性の議論こそが求められているのではないか。】一部抜粋

 熊本日日新聞・社説
原発事故対応費 消費者も加え公開の議論を
【新電力にも負担を求める理由について、経産省は「過去に全ての需要家が安い原発の電力を利用してきたから」とする。しかし、これらの費用は本来、原発運転で利益を得てきた電力会社が負担すべきものだ。原発の利益は享受しつつ、賠償費は消費者負担に、ではあまりに安易に過ぎよう。

 さらに、議論の在り方自体にも疑念が募る。経産省が原発に好意的な識者や関連業界の代表を自ら選んだ委員会で議論が進められ、一部は非公開で行われた。賠償費を回収するために、国会審議を必要とせず、審議会を通せば値上げも可能な託送料を利用するのも透明性の点で問題が多い。

 原発事故への対応は、国の将来を左右するエネルギー政策に関わる問題だ。国民に負担を求める以上、経産省は全ての情報を公開した上で、消費者も加えた公開の場で議論を行ってもらいたい。国会も積極的に関与するべきだ。】一部抜粋