もし3.11以前に「貞観の地震」を考慮し作成された 「3.11直前の書き直し版」 が発表されていれば、
原発だけでなく、津波の犠牲となった多くの方々の命も救えていたかもしれない。

 俄かには信じられないだろうが、天下の日経新聞が記事にしている、おそらくは事実だろう。

 井戸川克隆・元双葉町町長は怒りを込めて、「政府は3.11の8日前に知っていた
「2011年、津波のあった年の3月3日に、地震・津波のあることを日本政府は知ってました。
知ってたんですよ、8日前に。地震・津波の8日前に知ってました。

しかし、政府と東京電力と東北電力と日本原電が発表を止めてしまったのです。 こんなことって許されますか?みなさん」。と・・
3分45秒ころから


 当時、地震調査研究推進本部地震調査委員会・委員長代理だった島崎邦彦・東京大学名誉教授は
「地震発生確率を予測する「長期評価」の改訂作業中だった。約1100年前の貞観地震に関する新たな発見を
踏まえ、福島沖で大津波をもたらす地震が起きうることを予測に盛り込もうとした。」

「改訂案は実際に書き改められた」と、幻の「3.11直前の書き直し版」が存在すると明かしている。

 東日本大震災の起こった3.11直前に改定予定だった、地震調査研究推進本部の、地震発生確率を予測する「長期評価」に、東日本大震災について加筆されたと思われる超巨大地震,貞観の地震と長期評価には、

【地震調査研究推進本部(略称:地震本部)の地震調査委員会は,2002年,この海域のどこかで30年間に津波地震が発生する確率は20%程度,地震の津波マグニチュード(津波の高さから推定される震源規模)は 8.2と公表した。

大きな津波だけでなく,地震動も強かった貞観地震は,貞観十一(西暦869)年に発生した。仙台平野で東北電力女川原子力発電所建設所の研究者が調査を行った結果,海岸から3 kmまで津波が押し寄せたことが判明した。

最初にとりあげられたのが,宮城県沖で,評価結果は 2000年に公表された。2001~2020年の発生確率は約 80%,宮城県沖のみで地震が発生した場合はM 7.5前後だが,東の“三陸沖南部海溝寄り”の海域と連動(同時発生)した場合はM 8.0前後とされた。】と記述されている。

 3.11直前、貞観地震の新たな知見が得られたことから書き換えられる筈だったが、原子力ムラの横槍で?
東日本大震災後の2011.11.25に公表された三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)

 日本経済新聞 2012/5/24付 
大津波は想定外だったのか
【 東京電力・福島第1原子力発電所を襲った津波は本当に「想定外」だったのか。国会と政府の事故調査委員会は、東電や原子力安全・保安院が想定を見直す機会がありながら、それを逸した経緯を明らかにし、産学官がもたれ合ってきた原子力行政の構造的な問題にメスを入れるべきだ。

 東日本大震災の直前、文部科学省の地震調査研究推進本部は地震発生確率を予測する「長期評価」の改訂作業中だった。約1100年前の貞観地震に関する新たな発見を踏まえ、福島沖で大津波をもたらす地震が起きうることを予測に盛り込もうとした。

 改訂が公表されると、原発の津波対策を高める必要が生じる。東電は昨年3月3日、改訂案の「表現を工夫してほしい」と文科省に要請した。ここまでは政府事故調が中間報告で示した事実だが、最近新たな証言が付け加わった。

 長期評価に携わった島崎邦彦・東京大学名誉教授が「改訂案は実際に書き改められた」と学会の講演で明かした。長期評価は震災を踏まえ最終的に昨年11月に公表されたが、島崎氏の指摘が事実なら3.11直前の書き直し版がある。それを公開し経緯を明らかにすべきだ。事実なら東電が政府の地震予測を左右した証拠になりうる。

 似たことが2002年にもあった。東北地方の沖合のどこでも大津波が起きうるとした当時の長期評価に対し、そのときは政府の中央防災会議が異論を唱えて結論を変えた。それも原発への配慮からだったのか、明確ではない。仮にそうならゆゆしきことだ。大津波が早くから想定されていれば、原発だけでなく、多数の住民の命も救えていたかもしれない。

 原発の存在が科学の予測をゆがめてこなかったのか。ここでしっかり検証する必要がある。

 保安院が原子力安全委員会に対し、古い耐震指針でも防災上「支障がない」との見解を出すよう要求していた事実も最近、明らかになった。これも科学的判断をゆがめかねない所業だろう。】