開発中止寸前まで追い込まれながら、ゾンビの如く蘇ったオスプレイの復活劇には、
主要産業?としてアメリカの雇用を支える“軍産複合体”の力技による逆転劇があった。

 オスプレイは唯の輸送機ではない、アメリカの“軍産複合体”そのもの。

 例え事故で兵士たちが命を落とそうともオスプレイを否定することは誰にも出来ない、
それほど“軍産複合体”の力は強大なのだ。

“軍産複合体”の強大化を予見し警告していた、アイゼンハワーの大統領就任演説

20世紀に入って60年の間に大きな戦争が4つ起きました。

わが国はそのうち3つに関わりー
恒常的かつ大規模な軍需産業を作り出してきました。
現在、国防に携わる人の数は350万にのぼります。

巨大な軍部と軍需産業との結合は、アメリカが初めて経験するものです。
軍備に発達は必要不可欠であると同時にー
大きな危険をはらんでいる事を忘れてはなりません。
 】


 森本防衛大臣は、“アメリカが安全と言うから安全”との立場だが、
属国のような日本には、オスプレイ配備を止める権限などもともと存在しないのだから、
ひたすら沖縄県、山口県に理解を求めるしかない。

 アメリカの国益、“軍産複合体”の利益ではなく、日本の国益を第一に考えるなら、
今こそ不平等条約・日米安保条約、日米地位協定の改定を求めるべきなのだが、
民主党も自民党も、アメリカの属国扱いを甘んじて受け続ける方針のようだ。

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 報道ステーション・Frature特集より
【沖縄・普天間飛行場で10月の本格運用開始が予定されている『MV22オスプレイ』。配備に反対する声が上がるなか、森本防衛大臣は3日午前、アメリカとオスプレイについて協議をするため、ワシントンに向かった。

 そもそも、アメリカでもオスプレイへの反対論があるにもかかわらず、なぜ、オスプレイは造られ続けたのか。アメリカの“軍産複合体”の象徴的存在となったオスプレイの過去と現在を取材した。

 オスプレイの歴史は意外に古く、1950年代には原型となる試作機が飛んでいた。ただ、すぐに実用化はされず、1981年に開発が本格化した。

 1990年4月、連邦議会議事堂の周りをオスプレイの試作機『XV-15』が飛行。議事堂前に着陸した。本来、飛行が厳しく制限されている議会周辺。異例の出来事の裏には、ある議員たちの目論見があった。

 このイベントを企画したのは、オスプレイ開発を推進する共和党下院議員(当時)のカート・ウェルドン氏らだ。派手なパフォーマンスは、実は彼らの危機感ゆえだった。
このころ、オスプレイは、開発中止寸前にまで追い込まれていた。

 開発中止を求めたのは、当時、ブッシュ政権で国防長官を務めていたチェイニー氏。
アメリカの国防政策を司る張本人だ。冷戦が終結し、国防費の削減が求められた時代、
総開発費300億ドル(当時のレートで4.3兆円)はあまりにも高すぎた。

 しかし、選挙区であるペンシルベニア州にオスプレイの製造工場を抱えるウェルドン氏としては、開発中止を認めるわけにはいかなかった。
さらに、オスプレイの場合、胴体部分はペンシルベニア州で、翼やプロペラはテキサス州と分けて造られ、全米40州、2000の部品工場が製造に関わっているといわれる。

 雇用や税収を生むだけに、パフォーマンスの効果は絶大だった。
ウェルドン氏は、「議員たちは、試作機が飛ぶのを見て、これが雇用を生むことを知り、ほとんどの人がオスプレイ開発を支持するようになった」と話す。

 その後、立て続けに事故を起こしたオスプレイ。チェイニー氏は、開発中止を求め続けたものの、ついに政治の力学に敗北する。
 1992年、再選を目指すブッシュ大統領の対抗馬、民主党のクリントン候補は、オスプレイの開発支持を表明。一方、共和党のブッシュ大統領は、オスプレイの主要な工場があるペンシルベニア州とテキサス州で苦戦を強いられていた。】