東電の技術者は余りにも無知・無能、しかも傲慢、事故が起きない方が不思議なくらい。

東京電力も、政府も、経産省も、マスコミも、自己の利益に汲々とし、
日本人や日本という国家のことなど二の次なのである。

「保安院が本来ならやるべきはずであったことを、福島県が行ったわけです。ですから悪の根源は東電ではなく、保安院にある。彼らが告発を取り上げなかったのです」佐藤栄佐久・福島県前知事

放射能汚染  クリス・バズビー博士さまより

         上杉隆の東京脱力メールマガジン          

       『 情報隠蔽の罠「原子力国家」日本(5) 』       

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「原子力ムラ」の犠牲者に関して、大手メディアが報じることはない。たとえそれが国会議員や知事だとしても
例外はない。それほどまでに日本のこのムラの掟は厳しいのだ。

〈日本ではスキャンダルが長く尾を引くことはほとんどない。しかし、福島の現場にはここで、福島県前知事の
佐藤栄佐久氏が登場する。彼は紺色の背広にポケットチーフを指し、銀髪がウェーブした上品な年配の紳士だ。骨董とゴルフが好きな彼は、反原発論者である。

保安院が原子力村の内部からの告発をしっかり取り上げなかったことを知り、佐藤氏は自らこの事態を表ざたにすることにした。2002年から2006年の間に、内部の人間21名が佐藤氏に助言を求めてきた。

彼の部下が情報提供者と会って話を聞き、苦情を聴取し、記録した。そしてそれから、その記録をまとめて
保安院に渡したのである。

それでも長い間なにも起きなかったので、問い合わせもした。「でも誰も東電を検査しなかったのですと佐藤氏は語る。

「保安院が本来ならやるべきはずであったことを、福島県が行ったわけです。ですから悪の根源は東電ではなく、保安院にある。彼らが告発を取り上げなかったのです」。

省庁、監査官庁、そして電気会社はこれだけ癒着しており、利害の対立は始めから必至であったといってよい。影響力の強い経産省は原子力産業を推す立場にある。

日本製の原子力技術を中進国に売りつけたいという目的が常にあった。監査官庁である保安院はこの原子力産業を監査する任務があるのに、この原子力推進派の経産省の管轄下にある〉

こうした解り易すぎるぐらいの「お手盛り」は、こと原子力問題になると事例に事欠かない。そこにあるのは隠蔽だ。責任逃れの行く末のうんざりするような隠蔽の数々。官民一体となった隠蔽の山はもはや隠しようもないはずなのに、日本ではそれが知られていないだけだったのだ。

原子力政策において、隠蔽は、特別な意味を持つものではない。ほとんど日常的に繰り返されている、当然の光景なのである。

〈監査もそれにしたがっていい加減だった、と報告するのは原子力技術エンジニアの飯田哲也氏である。かつて日本の核廃棄物用のキャニスターを製造したことのある飯田氏だが、彼がまだ駆け出しだった頃、大変ショックだった思い出を語ってくれた。

「僕はまだ20台始めの若造だったのですが、僕がしたことはどれも、なんの検査もせずによし、とパスになったのです」。

検査官が近づくと原発作業員が合図を送るのを、もう20年も前に、飯田氏は見ている。すると作業員の一人がひびから漏れが出ている熱交換器をきれいに拭き取って、姿を消す。検査官はそれをすべて見ていながら、
見なかったふりをするのだ。「ここの検査など、単なる芝居に過ぎません」と飯田氏は語る。

産業と官庁の癒着はあまりに伝説的で、独自の名前が付いている。「天下り」と言うものだ。「天から下る」というこの表現は、官僚がこれまでの省庁でのキャリアを終えてから、電力会社の高給取りの地位に就く慣習を指している。

例を挙げると、東電の副社長の座は、もう何十年もの間、天下り官僚の指定席と決まっている。石原武夫という名の男性は通産省事務次官だったが、「原子力政策のコーディネーター」として知られている。
彼は1962年に東電に移り、取締役となってから副社長になった。

1980年には資源エネルギー庁長官増田実が東電に移り、同じコースをたどった。
1990年と1999年にはまた別の官僚が続いている。日本共産党の議員が4月に政府に対し「これは指定席なのか」どうか問いただしたところ、スポークスマンは「そう言い換えてかまわないでしょう」と答えた〉

では、果たして現場はどうか。東京電力福島第一原発の吉田@@所長は、きのう病気のために辞表を提出した。原発事故発生以降、現場(福島)と東京(政府・東電)の危機感の温度差について、公然と批判してきた現場トップの辞任は、原発事故の収束に向けて、マイナスにはなれど、なにひとつプラスにはならないだろう。
 
〈しかし原発の現場ではそんなことはどんな意味も持たない。現場で働く労働者のほとんどは下請け会社や
下請けのさらにまた下請け会社の日雇い労働者や出向社員である。

しかし、特殊技術者も東電から来るのではなく、日立や東芝、あるいは直接アメリカのジェネラル・エレクトリック社といった製造会社から派遣されてくるのである。

そしてこうしたエキスパートたちは、東電の幹部たちが原子炉のことをほとんど理解していないことを知っている。福島の下請け会社として何年も働いていた佐藤つねやす氏はこう語る。「東電の社員はたまに命令を下しに顔を出す役人と同じです」。

東電では無能さと傲慢さが同居しているのだ。スガオカ氏が隠蔽を公に告発した時、東電は社内の独自分析を行い、かなり欠陥があることを自ら認めている。

東電の技術者たちは「自分たちの原子力知識を過信していた」というのだ。だから政府にも、安全は確保されていると信じている限り、この問題に関して報告しなかったというのだ。

それでも、東電も保安院も、これらの見解から何がしの結論を引き出すことはなかった。福島第一の老朽化した原子炉の稼動期間を更に10年延長する許可を得たときにも、このスキャンダルも、なにも変えることはなかった。それだけではない。原子力発電の定期検査の間隔がなんと13ヶ月から16ヶ月に延長されたのである〉

万事がこうである。所詮、東京電力も、政府も、経産省も、マスコミも、自己の利益に汲々とし、日本人や日本という国家のことなど二の次なのである。 そして、自分たちと違う意見、つまり異論に対しては、次のような態度を示すしかできないのである。

〈「これが、スキャンダルを通して東電が取った結論なのです」と皮肉るのはグリーン・アクションの反原発運動家アイリーン・美緒子・スミス氏だ。「基準を新しく設置し、最終的には検査を間引きすること」。

東電のスポークスマンに、これまで反原発運動家の提案を受け入れたことはあるかどうか聞いてみると、
「質問の意味がわかりません」という答えが返ってきた」〉

さらに日本には、記者クラブ制度という特殊な「壁」が存在する。その驚きのシステムは海外に例がないため、日本以外ではほとんど理解されない。

だが、そのメディアシステムこそ「原子力帝国」日本において、結果として、きわめて重要な情報隠蔽の役割を担うことになってしまっているのだ。もちろん、それはマイナスの意味でだが……。

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