母ひとり、子ふたり。 | でらしねのこころ。

母ひとり、子ふたり。

 
一か月ぶりにおふくろに
 
電話をかけた。
 

おー、おれおれと
 
なんだか詐欺師のような
 
俺の一声に
 
「なんと、久しぶりでねーが」と
 
おふくろ。
 

大雪、大丈夫だったか?
 
「大丈夫だ。毎日、

T(弟の名)が雪かきしに来てくれてるから」
 

  
年末年始、おふくろは体を壊していた。
 
 
 
きっかけは
   
介護施設に入っている痴呆気味の

ばーちゃんががんになり
 
さらに
 
おふくろにとってすぐ上の姉というか
 
俺にとってのおばさんも
 
がんになったことだった。
 
 
 
心労からか、めまいがおさまらず
 
正月も床に伏していた。
 
そんなおふくろに
 
見舞いに行けなかった俺。
 
行かなかった俺。

   
  
地元で宅配便のドライバーをしている弟は
 
そんなおふくろを気にして

毎日のように子どもを伴い
 
様子を見に行っているようだ。
 
 
 
 

 
 
 
5歳下の弟。
 
東京に出て行った俺を追うこともなく
 
故郷にとどまりつづけた。
 
 
 
 
俺が大学生のころ

おやじが完全におかしくなったとき
  
お前とおふくろが心配で
 
生まれ育った家だけど出たほうがいい
 
じゃなきゃ誰かが殺される、、と
 
言ったことがあった。
 
 
 
そして
 
おふくろと弟は
  
おやじから逃れるように
  
たった二間のアパートで
 
身を寄せ合うように暮らし始めた。
 

 
あのころ
 
頼りなさげで無口な
 
中学生だった弟。
   
 
 
   
東京の大学を出て
 
テレビの仕事をしてるといえば
 
なんと兄さん立派になったねが、、と
 
言われる故郷において
 
 

雨の日も 風の日も 晴れの日も 雪の日も
 
ハンドルを握って
 
もくもくと仕事をしてきた弟。
 
 

実家の近くで
 
小さくてもあったかい家庭をつくり
 
おふくろに
 
孫に囲まれる生活を与えた弟。
 
 
 
  
  もう弟とは
 
20年以上暮らしていないけれど
 
結局
 
ずっとおふくろのそばで
 
おふくろを守っていたのは
 
弟だった。
 
 
 
 
毎月、せっせと
 
三万の仕送りとみかん箱いっぱいの食べ物を
   
東京に送っていたおふくろのそばで
  
おふくろに親子らしい日々を
  
過ごさせてくれたのは
  
弟だった。
  

 
5歳の年の差。
 
 
 
小6と小1の兄弟。  
 
キャッチボールもできないほど
 
ちっちゃな弟だったけれど
 
うんと開いてたような年の差は
 
いつのまにやら埋まっていた。
 

   
テレビを作るやつはあまたいるけど
 
おふくろの息子に、代わりはいない。
 
 
 
そんな大切なことを
 
あいつが一番わかっていた。
 
 
 
 

 

 

 
おふくろは
 
今日も
 
神社にお参りにいったことだろう。
 
ばーちゃんとおばさんが
 
元気になりますようにと。
 
 
 
 
弟は
 
今日も
 
おふくろのもとに現れていることだろう。
 
仕事の疲れを見せぬよう
 
わざとぶっきらぼうに。
 
 
  
 そして
  
俺はといえば、、
 
 

  
今日も
 
ぼんやり、考えているだけだ。
 
頭の中だけで。。
 
 
 
 

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