無頼派と呼ばれた、ある作家の死。
いつか書こうと思っていた話がある。
1997年に担当したあるドキュメンタリーの話だ。
ニュースステーションの特集コーナー。
15分にまとめたVのなかで
最後の無頼派と呼ばれた作家が、亡くなるまでの日々を追った。
作家は、I (享年63)
もともと大手出版社の文芸誌の編集長をしていたのだが、
50をすぎて、自身も作家になったひとだ。
その作風は、破天荒な自分自身の人生を
私小説のかたちで昇華させていた。
放蕩、不倫、酒、喧嘩、
そしてありとあらゆる内側の混沌を
書き、吐き出し、
そして、また新たな小説のテーマを求めるかのように
じぶんを泥沼に落とし込んでいく。
そして、それをまた書きつづった。
なにかに追い立てられているように。
俺が、彼の取材をしたのは5日間だ。
下咽頭がんで、声帯をとった I さんだったが
体じゅうをがん細胞が蝕み、
そのときは、自宅で最期の時を待っているような時期だった。
6畳の食堂と4畳半の和室にひかれた布団を行き来するだけの一日。
当然、声はでない。
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おれがこのドキュメンタリーを担当することになったのは
単なる偶然だった。
うちの会社の専務が、とりあえずロケにいける人間を探すよう
上司に指示。
当時、長期入院をして病み上がりの俺が
いちばんヒマということで、
この死にゆく作家の記録を、担当することになった。
この話を受けたとき、正直、功名心もあった。
大きなテーマじゃないか、
そしてニュースステーションのデビューも飾れる。
でも、はじめて I さんにあったとき
そんな思いは、あとかたもなく崩れた。
今、目の前にいる人が間もなく亡くなるという現実。
家族と過ごすべきであろう最期のひとときに
テレビカメラが踏み込むという
破壊、、、破戒。
すでに筆を持つ体力さえ持たない I さんにとって
テレビカメラの前で自身をさらすことが
どんな意味があるのか。
そして 俺は なにもすることができず、
ただ受け止めなくてはならない。
死。
俺自身、3ヵ月後には初めての子供を授かる身だった。
生と死。
ふたつの間で、、、
平常心をもつことで 精一杯だった。
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I さんの看病をしたのは、奥さんだ。
二番目の妻。もと銀座のママさんだ。
一番目の奥さんはガンで亡くなった。
彼女が元気なころから、二人は関係があり
ガンで闘病している最中も
I さんは、愛人宅に通っていた。
そして、そのことを小説に書いた。
奥さんが亡くなったあと、そのひとと再婚した。
ふたりいた子供さんは、相当すさんだらしい。
トイレの壁には、拳骨でなぐったらしい穴もあった。
ひとつだけでない。
継母と対立し、憎しみあい
やがて二人のお子さんは家を出た。
そんな家で、
その妻に看取られながら、彼は最期の時を過ごしていたのだ。
日に日に体力が落ちていく。
起き上がる事も、ままならなくなっていく。
奥さんの精神が壊れていく。
愛した男が、この世を去ろうとしている、、、
そんなとき、正気でいられるわけがない。
奥さんは言った。
「これが あの人の、最後の表現ですから…」
カメラを回さなくてはならない。
その取材は、彼が死に行く瞬間まで、続けろといわれていた。
俺は、そのとき、どうするのだろう。
俺は、そのとき、何ができるのだろう。
答えがでないまま、時間が流れていく。
目の前の作家が、そしてまた一歩、その瞬間に向かって歩いていく。
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死の三日前、俺は勝手に取材をやめた。
もうやめよう。
もう、彼にほんとうに静かな時間を手渡そう。
金曜日に決意し、カメラを引き上げた。
土曜日と日曜日
ひさしぶりに俺も静かな時間をすごした。
そして身重の妻に言った。
「会社やめることになるかもしれないけれど、いいかな」
彼女は、うなずいた。
月曜日、会社の上司に取材をやめたことを言った。
その話はとうぜん、専務の耳に入る。
かんかんだった。
上司が専務の命をうけ、あわてて I さんの自宅に向かう。
しかし、上司はそのお宅にあがることはできなかった。
なぜなら、
まさに通夜の支度をしている最中だったから。
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俺はかってに取材をやめたが、仕事から逃げたわけでない。
個人的な感情とは別に、
プロとして、計算はあった。
これ以上、カメラを回さなくても、
I さんの最期の姿は十分に描ける。
もういいでしょ、I さん。
あなたのお気持ちはわかりましたから。
その思いは無駄にはしません。
俺がきちんと、世に送り出しますから。。。
俺は、思っていた。
I さんが、このドキュメンタリーに出ようと決めたのは
最後の表現なのかはわからないけど、、、
長年待たせた奥さんへの、
罪ほろぼしだったんじゃないか、って。
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97年6月25日、ニュースステーションでその映像は放送された。
わずか15分のVTRだった。
放送から一ヵ月後、長女が生まれた。
3188グラム。
命の重さは、それ以上に重かった。
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数年後、小説家の T さんから、ひとづてに
問いかけがあった。
「タカハシさん、怒ってないですかね?」
T さんは、I さんの古くからの友人。
このドキュメンタリーを描くにあたっても、
ずいぶん相談に乗ってもらった。
やりきれない思いをかかえ、酒を飲んで、
からんでしまったこともあった。
そんなT さんがなぜ?
きけば、I さんの最期の日々を短編小説に描いたのだそうだ。
俺も登場人物として出ている。
無遠慮で、傍若無人なテレビ屋。
いちおう苦悩しているっぽいけど。
気にしないでください、と言った。
だって小説だから。
I さん本人が、書きたかったくらいだろう。
- ラブミー・テンダー―新 庶民烈伝
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- 風の噂で 、その後の奥さんの話を聞いて、言葉を失った。
- I さんのお骨をどこに埋葬するか
- それは大きな問題になったらしい。
- 前妻の眠るお墓に入るのか、、、、それとも、、、、
- 遺骨を持った奥さんは
- 前妻の遺児であるお二人や友人と対立し、孤立していった。
- そして、奥さんは、遺骨とともに 、
- 消息を絶った。
- ▼
- 奥さんと最後にあった日を思い出す。
- 放送が終わり、お酒をもって
- I さんのお宅を訪ねたのが、最後だ。
- 他にだれもいないお宅で
- 奥さんはひとり暮らしていた。
- 正直いって、言葉のつよい、性格のつよい
- 奥さんだったので、
- 取材中は俺もかなり苦しんだけど
- 状況が状況だったし、
- 落ち着いたところで、いちどお話したいと考えていた。
あの日、奥さんは不思議なくらい穏やかだった。
俺を 楽しそうに迎えてくれた。
若い日、モデルをしていたのよ、とお話になって
押入れの奥から
それはきれいなポスターを取り出して、ちょっとはにかみながら笑った。
もうおばあちゃんになっちゃったけどね、、、って。
▼
奥さんの遺体が発見されたのは、日本海の海辺だった。
I さん最後の著作の舞台が
その海辺のある街だった。
一緒に抱いて海に入ったであろう I さんの遺骨は、
いまも発見されていない。。。。