16.03.20 五龍城[安芸宍戸氏の居城]その3 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

五龍城レポ第3弾です。その2左矢印からリンクしています。

 

 

現存物(移築含む)は青、再現物(模擬含む)は紫、跡地(櫓跡、門跡など)は緑、その他の見所(遺構)はピンクの其々太字にしています。

 

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急斜面のサイドから尾根を登っていきますと、桜の段に到達しました。
五龍城 姫の段

 倒えた案内板が見切れてますが…。

 

 

さぁ、皆さん、お待たせしました。石積の登場です。って待ってたのは僕だけでしょうけどね。五龍城 姫の段石積

 
五龍城 姫の段石積

 
五龍城 姫の段石積

 最近、本当に石積の写真が多い。

 

 

桜の段には、北西面にも南東面にも石積があるのですが、前者はやや崩れているものの、残っている規模がここまでの石積とは比べものにならないほどのスケールです。
五龍城 姫の段石積

 
五龍城 姫の段石積

 
五龍城 桜の段石積

 これはほんまスゴイですわ。

 

 

この石積を撮っている場所には腰曲輪が存在します。
五龍城 腰曲輪

 石が散乱しています。

 

 

腰曲輪の北西下にも曲輪があります。
五龍城 曲輪

 そして…。

 

 

その南西面にはこれまたスロープ状の竪土塁が見られました。
五龍城 竪土塁

 早くも二例目の竪土塁です。

 

 

さてもう一度、石積を。その1の冒頭でも書きましたが、宍戸隆家が毛利元就の女を娶り、一門衆でもあった訳で、毛利家中でも重きをなしていたのでしょう。その威厳をこの石積で十分に感じる事ができます。
五龍城 桜の段石積

 宍戸氏は江戸期には一門筆頭だったそうです。

 

 

桜の段の上は姫の丸となります。上の石積のある部分は桜の段と姫の丸を繋ぐ形でもあります。
五龍城 姫の丸

 奥に気になる遺構が見えますが、それはのちほど紹介します。

 
五龍城 姫の丸

 姫の丸という名前の由来は何なんでしょうねはてなマーク

 

 

さて、全国一千万人の石積ファンの皆さま、お待たせしました。この姫の丸の南東面には石積があります。全国に一千万人も石積ファンの方はいらっしゃらないでしょうが、凄くイイ状態で残っているんですよね。
五龍城 石積

 斜めからではありますが、その素晴らしい状態が判って頂けると思います。

  

 

さらに進んで行くと、石塁が見られます。これは正直、スゴイと思います。
五龍城 姫の丸石塁

 中世城郭で石塁見えるとは思いもしませんでした。

 

 

その反対側です。この絵は、この五龍城で一番イイ絵だと思っています。
五龍城 姫の丸石塁

 写真を見てるだけでも素晴らしいビックリマーク

 

 

さて、この石塁の南側には非常に高い土塁が見られます。しかもその高さは半端ありません。
五龍城 土塁

 これは土塁というよりは…。

 

 

その土塁の正体がこちら。本丸の背後にあります。この城の見所の一つである巨大土塁…というより櫓台と言った方がよさそうですが。そしてこの土塁の下部には石積が見られます。ただ、この石積に関していえば、少々残り方が完璧なので、後世のモノと勘ぐってしまいました。
五龍城 本丸土塁

 写真で見るより、実際に見る方が圧巻でした。

 

 

その前面が本丸です。この本丸もさほど大きくはない曲輪です。
五龍城 本丸

 姫の丸との高低差はそれほどありません。

 

 

この本丸土塁の背後には堀切があるのですが、カメラでは少し判り難いですね。
五龍城 堀切

 この切岸の高さと傾斜は実感できると思います。

 

 

土塁上から見た、本丸、姫の丸、桜の段です。この三つの曲輪で本丸として機能したのではと思います。
五龍城 本丸 姫の丸 桜の段

 それぞれの段差が殆どないので、そういう風に感じました。

 

 

その3はここまで。その4に続きますm(_ _)m