やはり、年末の城巡りの余熱というのは続くものです。昨年も年始に念願の天霧城を登ったりしましたが、今年も小さな城を2つ行ったり、少し時間が経ちましたが、大阪出張にかこつけて、巨大な城に行ってきました。これは江戸城の巨大さに触発されたとの原因ですね。しかも改修中の門まどの無料開放もありましたし。大阪出張、巨大というキーワードがあれば、大坂城というのは言わずとも判ると思いますが…。
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※現存物(移築含む)は青、再現物(模擬含む)は紫、跡地(櫓跡、門跡など)は緑、その他の見所(遺構)はピンクの其々太字にしています。
鳥瞰図
案内図
建物配置図
説明
古写真
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早朝のJR大阪城公園駅。人気が殆どない。そりゃ当たり前。まだ日の出の時間ではないから。それでも散歩する方々は数人ほどいらっしゃいます。そんな方に交じり、外堀沿いを歩きながら、二の丸の石垣をちょろちょろ見ながら歩いて行きます。
こんな薄暗いうちから動くって…重症ですな
僕がまず向かったのが青屋口。恐らく目の前の石垣の間には高麗門があったものと思われます。
散歩している方が不審者扱いのような視線を送っていました。
そしてその奥にあるのが櫓門である青屋門が存在します。ここでも、マダム達が散歩していたので、なかなか写真を撮る事ができませんでした
先が思いやれます
説明
この大坂城の鬼門にあたる青屋口。この城の殆どの虎口が内枡形門なのですが、ここは出枡形となっています。
マダムが枡形から出ていく図ではありません
青屋門を潜り、二の丸に入ります。そこから見えるのは本丸の高い石垣です。日本一高い石垣はこの辺りの事のようです。そんな高い石垣の前に内堀があるのですが、もう攻め手目線から考えるとたまったもんじゃありませんよね。
太陽が照ってきました。
ここの石垣は横矢が掛かっているのがイイですね。ちなみ目の前の隅部には糒櫓が乗っていたそうです。
この上に三重櫓とか、圧迫感ありまくりだったでしょうね。
菱型の櫓だった訳ですね。
極楽橋。考えたら凄い名前の橋ですが、そんな凄い名前の橋が大坂城に存在します。ちなみに極楽橋は今はあまり目だない普通の橋ですが、豊臣時代には豪華な屋根付きの橋だったようで、滋賀県の竹生島の宝厳寺唐門がその生き残りと言われています。
背後に復興天守が写る絵になります。
極楽橋を渡ると山里丸の虎口になります。ここは内枡形となっています。そして橋を渡り切った場所には恒例行事のような高麗門があったようです。
青屋口より小さな枡形です。
ただ間口は狭い門だったようです。
刻印マニアの方、次回お楽しみに
枡形内には雁木もありますし、登り切った場所には石狭間も確認できます。
江戸城にもこの構図が多用されてました。
見ていてお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、先程の青屋口の枡形とは違い、この枡形は巨石を使った切込接の石垣になっています。
さすがは『徳川の城』です。
その1はここまで。その2に続きますm(_ _)m