「どちらか1つ」では先行きは暗い | 欧州野球狂の詩

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日本生まれイギリス育ちの野球マニアが、第2の故郷ヨーロッパの野球や自分の好きな音楽などについて、ざっくばらんな口調で熱く語ります♪

 先日執筆した、「信頼を裏切った罪は重い」と「ちょっと冷静になって考えてみた」という2本の記事。アメブロ版、スポナビ版を問わず、どちらにも物凄く多くのコメントを頂いた。あまりにも量が多すぎて、いまだにコメント返しが追い付かないほどだ。その中身には賛否両論あったけれど、たとえ反応がどうであれ、自分の書いた文章にこれだけ多くの人がレスポンスをくれるというのは、非常に光栄なことだと思うし、物書き冥利に尽きるところだ。

 それらのコメントの中には、国内リーグと国際大会の扱いについて、自分なりの見解を述べてくださっているものも多い。「野球界も、今後は国際化していくことが必要だ」という意見もあれば、「国際試合なんぞクソくらえだ」という意見もあった。どちらにせよ、本当に色々な考え方が寄せられていて、書いている自分にとっても、非常に勉強になったことは間違いない。

 ただ一方で、失礼ながら少々偏りすぎてはいないか、と思えるようなご意見も、少なからずあったのは事実だ。では、あの2つの記事を書いた俺自身の、国内リーグと国際大会の扱いについての考え方とは、果たしてどんなものなのか。記事そのものを比較的感情的に書いた分、ひょっとすると誤った伝わり方をしてしまっているかもしれないので、一度ここできちんと整理しておきたいと思う。

 俺自身は自分のことを、「国際野球ファンである」と常々公言している通り、基本的には日米以外の野球事情が好きだし、国際大会での戦いを見るのが好きだし、そこでさまざまな国の「野球文化」が、1点で交わるのを見るのが好きだ。そのため、もしかしたら俺のことを、「国内リーグを軽視してまで、国際化すべきだと唱えている人物」だと思われている方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれない。ただ結論から言うと、それは少し違う。

 例え、国際野球ファンではあったとしても、俺自身も「ベースとなるのは、あくまでも国内リーグである」と考えているのは、別に国内野球のファンと何1つ変わらない。まずは国内リーグが、その国の人々にとって価値ある存在となり、日々大きく盛り上がってこそ、それぞれの国の代表同士が戦う国際大会も、人々の大きな関心を集める存在になる、ということは間違いないだろう。

 実際、競技全体として国際大会に頼りすぎるがあまり、下部リーグに経営難のクラブが続出している、Jリーグのような実例があることもまた事実だ。俺はこの件で、サッカーという競技そのものをディスるつもりは毛頭ないけれど(良識ある読者の方なら、もちろんお分かりいただけると思うが、こう書かないと勘違いする輩が必ずいるんだ)、現実問題としてJリーグの国内リーグとしての価値が、ある一面においてはどこか置き去りにされてしまっている、という面は否めないと思うんだ。頂いたコメントの中に、「国際大会はドラッグのようなもの」と書いてくださっている方がいたけれど、それは決して間違ってはいないと思う。

 ただ、かといって国際大会というものの存在自体を、果たして一切否定することが、正しいと言えるだろうか?俺自身は、決してそうは思わないんだ。国内リーグがベースとして重要な存在であるのと同じように、国際大会もまた、スポーツ界にとっては新しいファンを惹きつける機能を持つ、非常に重要な役割を担っている、と考えているからだ。

 今、世間はロンドン五輪の話題で沸いているし、連日のようにテレビでも取り上げられている。五輪で実施する競技の中には、普段の生活の中ではあまりプッシュされることがない競技も、少なからず存在する。実例を挙げるのは失礼かもしれないけれど、例えば陸上の槍投げ、ウェイトリフティング、トライアスロン、フィールドホッケーなんかがそうだろう。今回の五輪の前には、俺自身も初めてホッケーの試合のテレビ中継を見たけれど、ああいう機会があったからこそ、ホッケーという競技に触れることができた。それに比べれば、野球は国内では比較的「メジャー」な存在かもしれない。だからと言って、国際大会の機会が不要かというと、それは違うと思うんだ。

 例えば、今の子供たちは、日常の中で野球というスポーツに触れる機会が、非常に限られてきていると思う。プロ野球中継は、ほとんどがBSやCSに移っているけれど、全ての家庭がBSやCSを視聴できるわけではないだろう。近所の公園で、キャッチボールをしようと思っても、今は野球そのものが名指しで禁止されているところだって多い。父親が野球ファンであれば、例えば少年野球に入るという選択肢を勧めてくることもあるだろうけど、もしそういうことでもなければ、彼らは野球とほとんど縁のない生活を送ることになるかもしれない。

 となると、新しいファンが増えないので、野球ファンの年齢層はどんどん上がっていき、全体としても数が減っていくことになる。ただでさえ、世界中他に例を見ないペースで少子化が進んでいるうえに、こうしたファン層の拡大もおぼつかないとなれば、ベースであるはずの国内リーグの盛り上がりにも影響が出てくるんだ。それを防止するためには、国民に対して広く「野球」というスポーツを強烈にアピールし、多くの人々の目を向けさせる舞台装置としての国際大会が、どうしても必要だと思うんだ。

 今の時代は、たとえメジャースポーツだからと言って、その地位に甘んじていてはいけないと思う。常に、自らの存在をアピールしていくことが、生き残りのためには必要なんだ。それには以前も書いたように、日本中の目を惹きつけるような、新しく強烈な刺激が必要であり、その役割を果たすうえでは、国際大会というものが最もふさわしいと思うんだ。

 結局、国内リーグも国際大会も、どちらもないがしろにしてはいけないんだと思う。これが例えば30年前であれば、別に国際大会なんてなくたって、国民の目をプロ野球に向けることはできた(当時は、娯楽そのものが少なかったというしね)。でも、世界が1つにつながり、娯楽そのものも多様化している今、国内リーグの戦いだけでは最早、新しいファンを開拓することはおぼつかないと思うんだよね。国際大会に頼りすぎることで、自国のスポーツ文化の根っこを腐らせるようなことがあってはいけない。ただ、徳川政権下じゃあるまいし、国内だけに閉じこもったままで生き残れるほど、今の時代の状況は甘くはないんだ。

 俺に言わせれば、既に時代が「国内リーグも、国際大会も」というものに変わっているにもかかわらず、日本球界はいまだに「国内リーグこそ至高」という考えにとらわれすぎてしまっていると思う。今はまだ、それでもいいかもしれない。でも、それこそ選手会の新井会長が言う「5年後、10年後」に、果たして明るい未来が待っているかというと、俺にはそうは思えないんだ。前例が限られている以上、難しいのは仕方ないかもしれないけれど、日本のファンももう少し、国際大会というものに対して真剣に向き合ってみるべきじゃないのかな。