![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
全部で101巻93冊もあり、医学に関することをはじめ、
文字についてや仏教、儒学、宇宙についてなど内容は多岐に渡っています。
明治期に『自然真営道』を読み、昌益を研究し始めた人物が
狩野享吉(かのうこうきち)。
狩野享吉が古書店からたまたま稿本『自然真営道』を購入したというのは
上野編でお伝えしましたが。
では、この稿本『自然真営道』は元々何処にあったのでしょうか??
それは幕末から明治にかけて、千住に住んでいた、
橋本律蔵(はしもとりつぞう)という人物が持っていました。
橋本家は穀物問屋をしていた家柄で、千住の名士でもあります。
さて、千住。
このたびは、安藤昌益の会のIさんと、
安藤昌益と千住の関係を調べる会会長のAさんにご案内してもらいました。
Aさんを先頭に旧日光街道沿いにある、
当時橋本家があった敷地をぐるっと一周してみます。
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/170.gif)
細い路地に入ります。長いですね。
江戸時代の一頃は間口の幅で税金が決められていたので、
奥行きのある家が多かったそうです
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/091.gif)
余談ですが、間口や窓に税金をかけたことがあるのは、
ヨーロッパの国々も同じ
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/183.gif)
古今東西、税金対策にはみな余念がありません。
ようやく路地を抜け、振り返っても入口が見えません。
千住でも有数の資産家であったことが伺えます。
さて、橋本律蔵が眠るお寺、慈眼寺も千住にあります。
場所は奥州街道沿、青森県民にも馴染のある国道4号線
(十和田や七戸の道の駅があるあの道)沿いです
趣味で寺院や霊園を巡ったことがある紳士歴女の皆様はわかると思いますが・・・
広い墓所で特定のお墓を探すのは、結構大変なんですよね
しかし、AさんとIさんが一緒でしたので、すぐに見つかりました
大きいので目立ちます。
真中にあるのがは橋本律蔵のお墓です。
側面に名が記載されています。
スタッフはきちんとお参りしてきました。
さて、『自然真営道』は橋本律蔵が所有していたのはわかりましたが。
これがどうして狩野享吉の手に渡ったのか、もう少しエピソードがありますが、
それは「安藤昌益ゆかりの地・千住②」でお伝えします。
スタッフY
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