春日大社 20年ぶり60回目「式年造替」の意味を宮司解説 | Institute of Reproducing Kernels

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春日大社 20年ぶり60回目「式年造替」の意味を宮司解説

 鮮やかな朱塗りの柱にまばゆく光を放つ白壁、美しく葺き替えられ、生き生きと黄金色に輝く天然の檜皮屋根──。

 11月、20年ぶり60回目の「式年造替」を終えた春日大社。世界遺産の鎮守の社が、みずみずしい姿に生まれ変わった。式年とは、定まった一定の年限のこと。造替とは、社殿を造り替えることを意味する。

「春日大社は奈良時代、国の安泰と人々の幸せを願って御蓋山(みかさやま)のふもとに壮麗な社殿を造営し、四柱の尊い神様をお祀りしたのが始まりです。

 国家国民をお守りいただく神様のお恵みに感謝し、春日大社では年間2200回以上のお祭りを奉仕していますが、それらの中でも最上級の奉仕が、ほぼ20年に一度執り行なわれてきた式年造替です。

 清浄な社殿を保ち、神様が使われる御神宝を一新することで、神様に若々しいお力を発揮してご加護いただきたい──そうした願いが込められています」

 こう語るのは、春日大社の花山院弘匡宮司。春日大社1300年の歴史において、式年造替は戦乱の世にも途切れることなく続けられてきたが、20年という周期にも意味があるという。

「老朽化してから修繕をするのでは神様に失礼にあたる。社殿の檜皮屋根も20年ならば美しさを保てます。他方、造替の伝統と技術を人から人へと伝える20年でもある。春日大社は御蓋山から続く中腹にあり、建物は傾斜に合わせながら真っ直ぐ見えるように造られています。そのため造替には職人の叡智が肝心となり、それは現場で学び取るもの。

 人生50年だった時代でも、20年ごとであれば経験を後進へと伝えられた。こうして人から人へ1000年、2000年と継承していくことができるのです」(花山院宮司)

 現在はほとんどの社殿が国宝や重要文化財に指定されているため、造り替えではなく大修理を行なう。今回は2007年から一之鳥居を皮切りに16の建造物を修理。昨年春からは、最も重要な社殿、神様の住まいである本殿の造替が進められた。

 他の建造物と異なり、本殿の造替には神職による数多くの祭儀が伴う。御神体を本殿から仮の御殿である移殿へと遷す「外遷宮(仮殿遷座祭)」が執り行なわれたのは昨年3月27日。

 この日のために、神職は2月末に精進入りし、釜の湯でお祓いを受ける「御湯」、移殿の装いとお祓いをする「移殿御装束並清祓之儀(うつしどのごしょうぞくならびにきよはらいのぎ)」、外遷宮で身に着ける装束を聖流・水谷川の水で清める「具足洗」など、古式の手順を踏んで準備を整えた。

 今年9月に本殿の修理が終わると、「本殿立柱上棟祭」を皮切りに外遷宮同様に様々な祭儀を経て、11月6日に御神体を本殿に還す「正遷宮(本殿遷座祭)」が、つつがなく完了。奉祝の芸能奉納や行事が続々と行なわれた。

「脈々と受け継がれてきた式年造替の伝統の一駒として、私たちはただ粛々と、つつがなくご奉仕したまでです」と花山院宮司は語るが、60回目という節目でもあり、本殿の獅子狛犬4対8体を800年ぶりに新調。藤原頼通が奉納したと伝わる瑠璃燈籠も700~800年ぶりに新調して本殿に釣り下げられた。

「日常ではなかなか神仏のことを考える余裕はないかもしれませんが、式年造替を通じ、日本を古くから守ってこられた神様を身近に感じられるきっかけになれば幸いです」(花山院宮司)

 神職などの案内による「本殿特別参拝と釣燈籠特別拝観」(2016年12月1~10日、2017年1月10日~3月31日、予約申込制)など、式年造替を記念する特別企画はまだ続く。

 神聖な場が清浄に保たれることで、訪れる人にも美しい心が宿る。清らかな聖地で心を洗い、神様とのご縁を結びたい。

※週刊ポスト2016年12月9日号

http://getnews.jp/archives/1564288

 

歴史を感じます:

 

再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解

 

(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)

                                                     

6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。

まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。

先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。

一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。

ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。

また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。

次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。

ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。

具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。

ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:

再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

 

以 上

 

再生核研究所声明335(2016.11.28)  ゼロ除算における状況

 

ゼロ除算における状況をニュース方式に纏めて置きたい。まず、大局は:

アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド幾何学とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。

1.ゼロ除算未定義、不可能性は 割り算の意味の自然な拡張で、ゼロで割ることは、ゼロ除算は可能で、任意の複素数zに対してz/0=0であること。もちろん、普通の分数の意味ではないことは 当然である。ところが、数学や物理学などの多くの公式における分数は、拡張された分数の意味を有していることが認められた。ゼロ除算を含む、四則演算が何時でも自由に出来る簡単な体の構造、山田体が確立されている。ゼロ除算の結果の一意性も 充分広い世界で確立されている。

2.いわゆる複素解析学で複素平面の立体射影における無限遠点は1/0=0で、無限ではなくて複素数0で表されること。

3. 円に関する中心の鏡像は古典的な結果、無限遠点ではなくて、実は中心それ自身であること。球についても同様である。

4.       孤立特異点で 解析関数は有限確定値をとること。その値が大事な意味を有する。ゼロ除算算法。

5. x,y 直交座標系で y軸の勾配は未定とされているが、実はゼロであること;  \tan (\pi/2) =0. ― ゼロ除算算法の典型的な例。

6. 直線や平面には、原点を加えて考えるべきこと。平行線は原点を共有する。原点は、直線や平面の中心であること。この議論では座標系を固定して考えることが大事である。

7. 無限遠点に関係する図形や公式の変更。ユークリッド空間の構造の変更、修正。

8. 接線法線の考えに新しい知見。曲率についての定義のある変更。

9. ゼロ除算算法の導入。分母がゼロになる場合にも、分子がゼロでなくても、ゼロになっても、そこで意味のある世界。いろいろ基本的な応用がある。

10.従来微分係数が無限大に発散するとされてきたとき、それは 実はゼロになっていたこと。微分に関する多くの公式の変更。

11.微分方程式の特異点についての新しい知見、特異点で微分方程式を満たしているという知見。極で値を有することと、微分係数が意味をもつことからそのような概念が生れる。

12.図形の破壊現象の統一的な説明。例えば半径無限の円(半平面)の面積は、実はゼロだった。

13.確定された数としての無限大、無限は排斥されるべきこと。

14.ゼロ除算による空間、幾何学、世界の構造の統一的な説明。物理学などへの応用。

15.解析関数が自然境界を超えた点で定まっている新しい現象が確認された。

16.領域上で定義される領域関数を空間次元で微分するという考えが現れた。

17.コーシー主値やアダマール有限部分に対する解釈がゼロ除算算法で発見された。

18.log 0=0、 及び e^0 が2つの値1,0 を取ることなど。初等関数で、新しい値が発見された。

 

資料:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007

http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

*156  Qian,T./Rodino,L.(eds.):

       Mathematical Analysis, Probability and

        Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.

           (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)

             Sep. 2016   305 pp.

             (Springer)     9783319419435   25,370.

http://okmr.yamatoblog.net/division%20by%20zero/announcement%20326-%20the%20divi

数学基礎学力研究会のホームページ

URLは

http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える

以 上

 

再生核研究所声明296(2016.05.06)   ゼロ除算の混乱

 

ゼロ除算の研究を進めているが、誠に奇妙な状況と言える。簡潔に焦点を述べておきたい。

ゼロ除算はゼロで割ることを考えることであるが、物理学的にはアリストテレス、ニュートン、アンシュタインの相当に深刻な問題として、問題にされてきた。他方、数学界では628年にインドで四則演算の算術の法則の確立、記録とともに永年問題とされてきたが、オイラー、アーベル、リーマン達による、不可能であるという考えと、極限値で考えて無限遠点とする定説が永く定着してきている。

ところが数学界の定説には満足せず、今尚熱い話題、問題として、議論されている。理由は、ゼロで割れないという例外がどうして存在するのかという、素朴な疑問とともに、積極的に、計算機がゼロ除算に出会うと混乱を起こす具体的な懸案問題を解消したいという明確な動機があること、他の動機としてはアインシュタインの相対性理論の上手い解釈を求めることである。これにはアインシュタインが直接言及しているように、ゼロ除算はブラックホールに関係していて、ブラックホールの解明を意図している面もある。偶然、アインシュタイン以後100年 実に面白い事件が起きていると言える。偶然、20年以上も考えて解明できたとの著書さえ出版された。― これは、初めから、間違いであると理由を付けて質問を送っているが、納得させる回答が無い。実名を上げず、具体的に 状況を客観的に述べたい。尚、ゼロ除算はリーマン仮説に密接に関係があるとの情報があるが 詳しいことは分からない。

1: ゼロ除算回避を目指して、新しい代数的な構造を研究しているグループ、相当な積み重ねのある理論を、体や環の構造で研究している。例えて言うと、ゼロ除算は沢山存在するという、考え方と言える。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。

2:同じくゼロ除算回避を志向して 何と0/0 を想像上の数として導入し、正、負無限大とともに数として導入して、新しい数の体系と演算の法則を考え、展開している。相当なグループを作っているという。BBCでも報じられたが、数学界の評判は良くないようである。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。

3:最近、アインシュタインの理論の専門家達が アインシュタインの理論から、0/0=1, 1/0=無限 が出て、ゼロ除算は解決したと報告している。― しかし、これについては、論理的な間違いがあると具体的に指摘している。結果も我々の結果と違っている。

4:数学界の永い定説では、1/0 は不可能もしくは、極限の考え方で、無限遠点を対応させる. 0/0 は不定、解は何でも良いとなっている。― 数学に基本的な欠落があって、ゼロ除算を導入しなければ数学は不完全であると主張し、新しい世界観を提起している。

ここ2年間の研究で、ゼロ除算は 何時でもゼロz/0=0であるとして、 上記の全ての立場を否定して、新しい理論の建設を進めている。z/0 は 普通の分数ではなく、拡張された意味でと初期から説明しているが、今でも誤解していて、混乱している人は多い、これは真面目に論文を読まず、初めから、問題にしていない証拠であると言える。

上記、関係者たちと交流、討論しているが、中々理解されず、自分たちの建設している理論に固執しているさまがよく現れていて、数学なのに、心情の問題のように感じられる微妙で、奇妙な状況である。

我々のゼロ除算の理論的な簡潔な説明、それを裏付ける具体的な証拠に当たる結果を沢山提示しているが、中々理解されない状況である。

数学界でも永い間の定説で、初めから、問題にしない人は多い状況である。ゼロ除算は算数、ユークリッド幾何学、解析幾何学など、数学の基本に関わることなので、この問題を究明、明確にして頂きたいと要請している:

 

再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥

再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題

再生核研究所声明279(2016.01.28) : ゼロ除算の意義

再生核研究所声明280(2016.01.29) : ゼロ除算の公認、認知を求める

 

我々のゼロ除算について8歳の少女が3週間くらいで、当たり前であると理解し、高校の先生たちも、簡単に理解されている数学、それを数学の専門家や、ゼロ除算の専門家が2年を超えても、誤解したり、受け入れられない状況は誠に奇妙で、アリストテレスの2000年を超える世の連続性についての固定した世界観や、上記天才数学者たちの足跡、数学界の定説に まるで全く嵌っている状況に感じられる。

 

以 上

 

 

考えてはいけないことが、考えられるようになった。

説明できないことが説明できることになった。

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

http://file.scirp.org/pdf/ALAMT_2016061413593686.pdf

 

再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程

オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)

www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf Traduzir esta página

19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。

余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。

ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。

ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:

Albert Einstein:

Blackholes are where God divided by zero.

I don’t believe in mathematics.

George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:

1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

 

現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。

ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。

第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。

ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:

 

ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:

ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数

W = z+ 1/z

は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。

神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?

神の意思が知りたい。

2016.2.27.16:46

既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。 

以 上

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

http://file.scirp.org/pdf/ALAMT_2016061413593686.pdf