土曜日の朝に湯沢を出て、先ずは福島県の郡山へ
エキナカで昼食を食べた後、郡山を見渡せる場所に移動してお茶しながら歓談
曇っていたので残念ながら周囲の山々は全く見えませんでした。
本当はお昼に福島の地元料理を食べたかったんですが、その手のお店は夜しかやってなくて食べれませんでした。
その後、東京に向かい、本来の目的は早々に済ませ、日曜日は仕事の都合で岩手県から埼玉県の飯能というところに引っ越した友人を訪ねました。
おー、岩手と同じくらいに山の中ジャン
でもココはやっぱり東京への通勤圏
駅前は湯沢とはちょっと違う、いえ、だいぶ違う
ガラス工房という看板を見つけ立ち寄りました
以前、川越に来た時に通り過ぎただけで気になっていた所に今回は行ってきました。
埼玉県の日高市から飯能市あたりは明治時代の初めごろまで高麗(こま)郡がおかれていました。
紀元前一世紀から紀元後668年まで、現在の北朝鮮から中国の満州にかけてあたりに高句麗(こうくり)という国がありました。
この国が滅びたときに、一部の人が日本に亡命して来ました。
各地に散らばって生活していましたが、716年に大和朝廷は彼らに入植地を与えて一カ所にまとめました。
それが高麗郡です。
高句麗なのになぜ高麗なのかと言うと、日本では高麗(こま)と呼ばれていたからです。
後に起こった高麗(こうらい)とは別の国です。
その時の高句麗難民のリーダーが高句麗王族だったと思われる若光(じゃっこう)という人です。
この人は大和朝廷から高麗王という氏姓を賜っています。
今の埼玉県日高市にはこの若光を祀る高麗神社と、若光とともにやって来た僧侶が若光の菩提を弔うために建てた聖天院というお寺があります。
この写真は聖天院の入口あたりにある若光の墓とされるものです。
高麗神社は宮司さんが観光化に積極的らしくてパワースポットとして売り出し中。
今年が高麗郡設置から1300年だそうで、日高市とタイアップしてイベントなんかもやってます。
聖天院の方は静かなたたずまいを保っています。
私の小旅行はこれで終わり。
月曜日の朝に新幹線に乗り昼過ぎに湯沢に帰りつき、夕方から仕事です。
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