雑感 「相撲の歴史」は「八百長の歴史」である。 | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

忙しくなると、仕事に優先順位を付けなければならないことぐらい、今時の新入社員でも知っていることである。

年末の海老蔵に続いて、今月は相撲の八百長である。海老蔵にしろ、八百長にしろ、こんなたわいもないニュースを延々と垂れ流すしか脳のないメディアに対する批判が、どこからも起きないことが不思議である。
新聞を始めとするメディアは、公器であるというが……。

いくつものニュースを同時に流すことなどできないのであるから、ニュースに優先度や、重要度をつけなければならないだろう。
今、わが国にとってもっとも大切な、重要なニュースとは、相撲の八百長であろうか? 答えは否である。社会保障問題であり、外交・安全保障問題(尖閣諸島問題はどこに消えてしまったのだ?)であることは論を待たない。

「高齢者の医療の確保に関する法律」、いわゆる後期高齢者医療制度を定めた法律は、小泉政権下であった平成十八年に公布され、二年後の平成二十年度から施行された。そのとき、メディアはどんな報道をしたか? 法律が施行されてから、福田政権に対するパッシングをはじめたのではなかったか? だが、そもそもこの法律はその二年も前に公布されていたのである。制度自体を批判するならば、審議の最中にすべきではなかったか?
メディアは今回もおなじ過ちを犯そうとしている。
本国会において提出された法案について、メディアはしっかりと報道すべきである。海老蔵も、相撲もいいのである。もう、うんざりなのだ。

今回の角界の騒動における「論点」とは、力士が八百長をしたかどうかではなく、角界と反社会的組織との繋がりの有無なのである。そこを暴かなければならないのである。

相撲の八百長については、以前読んだ「武士ズム(平成十九年発行)」に面白く書かれているので、少し長いが引用する。

堀辺 (略)国技館は相撲がスポーツだと言ったことが一度もない。『相撲とは何か』を定義してないんです。
小林 え、そうなんですか?
堀辺 ええ。じゃあ、そもそも相撲とは何なのかというと、これがまた曖昧模糊としてましてねぇ。最初は神道における重要な神事だったんですね。その勝敗によって吉凶を占うようなことが行われていました。たとえば神社の前にひとりだけ力士が現れて、見えない悪霊を相手に相撲を取るフリをする。それで最後は悪霊を投げ飛ばして、自分が勝ったというポーズをして終わるわけです。力士が悪霊を退治したわけだから、その年は村の五穀豊穣が約束される。これが『一人相撲』という神事で、今でも残っている地方はありますよ。
小林 一人相撲って、単に愚かな行動の事じゃなくて、もともとは神事だったのか。
堀辺 そのほかにも、よその村から来た若い男が、地元力士にわざと負けるというパターンもあります。
小林 『週刊現代』が見たら『八百長だ!』と大騒ぎするでしょうね。
堀辺 そういう神事としての歴史が何千年もあるわけですから、まあ、相撲の歴史は八百長の歴史だと言えなくもないんですね。興行としての相撲は江戸時代に成立したんですが、この時代も人気のある力士が勝ったりする。たとえば力士の中に誰が見ても強そうだと思う巨体の持ち主がいるとしますよね。その力士が出場すると、普通なら300人しか入らない会場に、500人もの客が入る。それが負けてしまうと、みんなガッカリして次の興行が成り立たない。それでは困るから、その力士は勝つようになっている。ですから、当時の相撲は断じて西洋人のいう『スポーツ』ではなかったんです。
(略)
堀辺 (略)だから、相撲協会が『俺たちは一度も相撲がスポーツだと言ったことがない。これは日本独自の文化だ』と言えば済むんです。それを西洋のスポーツという概念でしか把握できないとしたら、これも戦後の日本人が変質しているひとつの証左だと言えるでしょう。
(「武士ズム」 第七章 あえて言う。「相撲の歴史」は「八百長の歴史」である。)

そもそも、視聴率で動いているテレビを始めとするメディアが、興行が成り立たないから、八百長をやっていた相撲を批判できるのか?

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