「ケルトの薄明」より イエーツ(芥川龍之介訳) | ScrapBook

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「ケルトの薄明」より
一九一四(大正三)年四月一日発行の「新思潮」第一巻第三号に掲載される。署名は「柳川隆之介」。イエーツは、一八六五年にアイルランドに生まれた劇作家、詩人であり、神話と魔術、夢の世界に題材を求めた。特にケルト民族の神話・伝承を作品の中に取り入れた。一九三九年没。後年、芥川は、魔術を素材にした「アグニの神」、神話をもとにした「素戔鳴尊」といった作品を創作するが、生涯を通して、イエーツから受けた影響は少ないといえる。

一九一四年三月二日付け井川恭宛ての書簡には、「新思潮で愛蘭土文学号を出すさうだ イエーツのSECRET ROSEがあいていたら送つてくれ給へあとは後便 匆匆 龍」とあり、翻訳の動機はどうやら、新思潮の特集によったもののようである。同年三月十六日には、井川恭宛ての書簡に、「先達は早速イエーツを送つて下すつて難有う」とあり、三日後の井川宛の書簡にも「時々山宮さんと話をする アイアランド文学を研究している ひとりで僕をシング(小山内さんにきいたらシングがほんとだと云つた)の研究家にきめていろんな事をきくのでこまる アイアランド文学号を出すについてもグレゴリーの事をかく人がなくつてこまつている 著書が多いから仕末が悪いのだらう」とする言及がある。

第三次「新思潮」は同年の二月十二日に創刊された。一高出身の東大文科の学生が中心となって、同人は、豊島与志雄、山本有三、山宮允、久米正雄、土屋文明、佐野文夫、成瀬正一、松岡譲、菊池寛、そして芥川を加えた十人であった。

冒頭から、「平俗な名利の念を離れて、暫く人事の匆忙を忘れる時、自分は時として目ざめたるままの夢を見る事がある」と訳しているところからわかるように、芥川は意識的に漢語を多用している。「the unreal」を「空華」「鏡花」と訳していることから、漱石の「虞美人草」の一節である「世界は色の世界である。いたづらに空華と云ひ鏡花と云ふ」から録っているのではないかと、全集の注解を編集した、清水康次は推測している。

一九一四年の秋に、ゴーチエの「クラリモンド」の翻訳を手がけるが、その後、芥川が精力的に翻訳という作業に取り組むことはなかった。彼における翻訳とは、彼の手習いの域を出るものではなかった。作品のストラクチャーといったものを一切考えずに、文脈に適した文字を置き換えることにより、言葉を彫琢する練習を彼は行ったのである。

森鴎外は、海外文学を翻訳することで、最新の欧米文学の小説をわが国に紹介し、芥川は鴎外の「諸国物語」から小説の方法を学んだ。「鴎外が芥川を作った」とする中村真一郎の指摘は妥当である。鴎外と芥川とが同じ頃に創作活動を行っていた時代があることに、自分は驚きを禁じ得ない。欧米諸国が数世紀に渡って作り上げてきた、小説の方法を鴎外がわが国に持ち込み、時を移さず芥川がその方法を基に小説作品を創作した。古典文学の素材を、その方法にそって再構成したのであった。わが国の近代文学は、芥川龍之介の短命が象徴するように、成熟する間という時間の余裕を持てぬまま、昭和という混迷の時代を迎えたのだ。