『五輪書』に記された「“右、左”の足遣ひ(陰陽足)」を「順」とし、以下“左、右”「逆」“左、左”「裏」と、個人的便宜で位置付けております♪

 

そして先だって“新抜刀術”として仮披露した小手先の小技w

そいつを新たに『鞘消し』と名付け、いちいちボカすのも面倒なので、今回は隠さずに披露しとります。その“タネ”がわかった方は、独学亜流ならでは?な目の付け処を褒めてやってくだされ(^^ゞ

 

 

さて賢明な修行者ならば、この“足遣い”が単なる「足運び」では無いことが見て取れるかと思います。足(脚力)主動ではこの運び-特に「逆」と「裏」-は出来ません。何故なら、足の力で捌く(例えば床を蹴る、押す)度に、重心が前後に移動して(ブレて)しまい、動き(技の流れ)に遅延、滞りが発生しやすいからです。現代空手の競技型が“ストップ&ゴー”と揶揄されるのも同じ所以(^_^;)

 

見た目は引(退)き下がりながらも、重心は常に「浮遊」「落とせる」状態-自由で自在-でなければなりません。その“位置エネルギー”が、身体の動き(捌き、技)や力の源泉となるのです。

 

例えるなら『人』の文字。

支えあってる一方の足を外してまったらどうなるでしょう?残った方は当然倒れちゃいます。その倒れる(落ちる)際の力の流れが動力になる訳ですが、その支えを外す捌き(トリガー)を主導するのが、足では無く「重心」そのものー即ち“丹田”ーなのです。

 

『吊り腰の身なり』-これも五輪書に記されてますが、文字通り“天井から吊るされている”が如く在るのが重心。更にぶら下がっているが如く在るのが足。つまり(何度も聞いてミミタコでしょうw)、足が重心を運ぶのでは無く、重心によって“運ばれる”のが足。だから最後まで途切れることのない、つまり“始まりも終わりもない”=「消える」「見えない」と言う次元の「速さ」(の一要因)になる訳です。※「逆」と「裏」の足遣いは、僕オリジナルの『足裏抜き』も込みの捌きとなります。

 

たかが独行ビックリマークされど独行ビックリマーク

天上天下 唯我独走!!

 

Made in me.

Born from the "inspiration".

I only believe me! 

Ha-haウインク

 

 

さて巷で時々目にする動画(演武や組型)で気になること。

鞘と右手を前に出して「抜くぞ」感満載で近付いてくる相手に、不用意に斬り掛かる奴なんてま~ずいないと思う・・。

 

 

僕がその相手だとしたら(抜刀済みだとしても)まず先には斬り掛からないだろうし、先に抜かせようとあれこれ画策するか、逆にまったく動かず“相討ち覚悟”「待つ」と思う。この場合『先に仕掛けた(動いた)方が不利』が定石だしね。

 

じゃあ逆なら?

自然体で立ち、両手は体横に下げたまま自ら動かず、相手から仕掛けてくるのを待つ。

 

機に発し 感に敏なること

 

これは空手に於ける「約束組手」の受け側の体勢だが、「居合(抜刀)術」のコンセプトもこれ-後の先-と同義なのである。よって納刀して相手を“誘う”のならば、自然体、且つ不動であるべきだと個人的には思うし、手練れが相手を想定するのが稽古なのだから、まるで不用意(用心)な素人の様な仕掛けは尚更無しだと思う次第。押忍!