完全受け売り演技論シリーズ第11弾
今回のテーマは
-台詞の自殺-
少々ショッキングなタイトルですが、内容を読むと“あ~なるほどそう言う事ね”と理解出来ると思います。
俳優を志す誰もが当たり前のように行う、あるトレーニング法に潜む危険とは!?
僕もこれ初めて読んだ時、少なからずのショックを受けました^_^;
でもすぐに納得出来ましたね。
何故か?
実は武術界でもこれとまったく同じ事が言えるからです。
それは最後の方で_・)チラ っとご紹介します。
ええ、長い前振りですが何か?(笑)
※今回より特に重要と思われる部分だけ紹介することにしました。
「凄く勉強になるけど“長過ぎて”・・・」と言う泣きが入りましたので(笑)
因みに今回のは約1/2の量に抑えてあります。これでも^_^;
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「今の子は早口でみんな同じ喋り方をする」 【ある往年の舞台女優】
今、日本で上演される公演(プロ・アマ問わず)の少なくとも90%くらいは怒鳴り芝居である。無理に声を作り、無理に声を張り上げ、勢いに任せて台詞をまくしたてる。「俺は精一杯やってるぜ」「わたし、頑張ってるわ」という実感は得られ易いかもしれないが、舞台の印象は極めて薄くなり、俳優の個性は死ぬ。
現在、高校演劇部からプロの養成所に至るまで、早口言葉のトレーニングを行わない所は無いといって良い。一方、ゆっくり喋るトレーニングを行う所も殆ど無いといって良い。これは早口言葉に対する過剰な信仰が、ゆっくり喋るという行為を極端に軽視させているからである。軽視どころか「ゆっくり喋るという事など素人でも出来ることだ」とさえ思われているフシがある。殺人的といって良い程の酷い誤解である。
断言しておく。
ゆっくり喋る技術を身につけていない俳優に説得力のある台詞を吐くことは不可能である。また、早口で喋って言葉の輪郭をはっきりさせるより、ゆっくりと喋って言葉の輪郭をハッキリさせる方が数倍の難しさが伴うのである。加えて、ゆっくりと喋る方が台詞の技量というのは明白になるのだ。下手な台詞も早口で言えば20秒程度なら我慢出来ても、ゆっくりと喋れば5秒と聞けない。
ところが、この事は意外な程認識されていない。
そもそも早口言葉のトレーニングが過剰に重用視されるようになったのは1950年代の後半だ。この頃、外国TVドラマ、外国映画やTVアニメの吹き替えというものが俳優の重要な仕事の一つとなった。1950年代後半から70年代後半までというのは現在からは想像もつかない外国TVドラマの全盛時代だった。月曜日から日曜日まで毎日のようにゴールデンタイムに外国TVドラマが放送され、70年代前半まではゴールデンタイムの洋画劇場が週8回(1日は二局)もあった程である。加えて、ドラマの自社制作能力の低かった東京12チャンネル(現テレビ東京)は外国TV映画を週数十本もオンエアしていた時期さえあった。
この吹き替えの仕事は映画やTVドラマに比べるとギャラの低い舞台俳優たちにとって重要な収入になった。この事は俳優のトレーニングにも影響を及ぼす。日本語と外国語の言葉数の違いを調整する為、吹き替えでは台詞を早く喋ることが求められたのだ。この事は早口言葉への偏重傾向へと繋がっていく。その後、声優という新たな職種が出来、吹き替えブームも終わったが、早口言葉偏重主義はそのまま残った。この事に加えて、80年代中盤に起きた小劇場ブームによって勢いに任せて早口でまくし立てるスタイルの芝居が爆発的に増えた。
こうして「ゆっくりと喋る事の重要性」は演劇界の隅に押しやられていったのである。
ゆっくり喋る事が軽視されて以降、「微妙な感情を表した繊細な台詞」「生々しい感情を伝えた説得力のある台詞」「詩的な情感を持った台詞」が舞台上(映画でも)で聞かれることは極めて稀になった。
早口言葉偏重主義は「台詞の自殺」を招いたといって良い。
俳優の台詞術の低下は演劇・映画における登場人物の心理描写の幅を大きく狭める一大要因の一つになっている。
かつて、岸田理生 は岸田事務所の新人俳優たちにゆっくりと喋るトレーニングを徹底して課したという。これは、日本語の情感、語感をフルに活かして書かれた岸田戯曲の台詞を話す為には当然のトレーニングだった。ただ、言葉を弄んでいるだけのおバカなアングラ芝居のノリで勢いだけで喋られては岸田戯曲の台詞は全て死んでしまうのである。
岸田作品に限らず、素晴らしい言葉によって書かれたテキストは、現在の早口言葉偏重の潮流の中にあっては真価を発揮出来る機会を得ることは稀だといって良い。
ゆっくり喋るトレーニングは台詞に感情を直結させ、自然な言葉として台詞を観客に伝える台詞術を身に付けさせてくれる。これは感情の変化によって喋り方が千変万化することを俳優自身が感覚的に理解するという事である。逆に言えば、喋り方の幅が広がることによって、俳優として理解出来る感情の幅も広がるという事でもある。
面白いことに、早口役者に限って役の理解能力が低く、演技の幅も極めて狭いものである。これは型にはまった早口台詞ばかり喋っていると、役の感情を台詞として表現することより、口先だけで台詞をコントロールすることが感覚として身に付いてしまうからだ。これは俳優の感性の鈍化にも繋がる。
人に見せる為の演技(映画・舞台等の)というものは簡単なモノでは無い。役の心理を理解出来ても、それを具現化(演技)する技術が無ければ観客には決して伝わることは無いのだ。
-以上-
これをヒントにした僕オリジナル?の発声&滑舌トレーニング法を紹介してみます♪
使うのはご存知『外郎(うぃろう)売り』 の口上。
早口言葉としても有名ですが、僕はこれを敢えてゆっくり言う様にしています。
そしてゆっくり喋りながら「喜怒哀楽」の感情をランダムに発現させます。
つまり、笑ったり怒ったり泣いたりはしゃいだりしながら、うぃろうを売ってる訳です。
人に聞かれた日にゃ~めっちゃ恥ずかしいです(*^^*ゞ
「京のなま鱈奈良なま学鰹」って笑いながら言ったり、「お茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちゃ」って泣きながら言ってますもん(笑)
これが台詞術向上にどれだけ効果があるのかは、今のところまったくもって不明ですw
最後に冒頭の「武術界でも」の答えです。
「ゆっくりやって出来ないものを、速くやって正しく出来る訳が無い」
これは極真空手をやっていた頃から今まで、僕の周りではずっと言われ続けて来た言葉です。
僕が通っていたのは、かつて“チャンピオン製造工場”と呼ばれていた某支部です。
支部長は元全日本チャンプで、伝家の宝刀と呼ばれ恐れられた下段廻し蹴り(ローキック)で一世を風靡しました。
そのトレーニング方法と言うのが-出来るだけゆっくりと正確に技を出す-と言うもの。
廻し蹴りなら廻し蹴りを、通常1秒足らずで終えてしまうところを、抱え込みから蹴って引き戻すまでを、数十秒掛けてやってました。その理由がまさに「ゆっくりやって・・」と言うもの。
そしてそれは、今現在僕が取り組んでいる日本古武術の世界でも、当たり前の様に流布している言葉です。
だから「あぁなるほど!そう言う事!!」と即納得・・と言う事でした(^_-)-☆
【京の、、もとい、今日のありがとうw】
・ここ最近快調の相棒スペーシーに!この調子でこれからも頼む(>_<)
・学ぶ気持ちが有れば例え戯れ言にさえヒントは見付けられるって事に
・素直で謙虚で柔軟な思考こそが最良の成長促進剤であることに
・生きている奇跡に
・生かされている奇跡に
∞∞<セルフPR>∞∞