バイトにあぶれ暇になったので、映画でもみようかと思っていましたが、こう言う時こそ勉強だ!と思い立ち、久し振りにフリー時代に演技教本代わりに読んでいた、ある演出家さんの言葉の数々を読み直してました(^^)


現代の映像演劇界に対し、かなり辛辣な意見をお持ちの演出家さんなので、読んでて胸にグサグサ来る事もあるんですが(笑)、なかなかに共感や納得出来る部分が多いので、俳優仲間にも参考意見のひとつとして抜粋ですが、紹介してみようと思います。


ただA4用紙100枚分にも相当する量なので、一度に全部を紹介する事は出来ませんので、小出し小出しでシリーズ化っぽくして紹介していきます。


今回はその第一回(^^)v


あくまで【参考】としてお読みいただければと思います♪


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 「台本がひどければ、俳優にはなす術がない。どんな名演技をしようと、まともなドラマが根底になければ、一日中全力を尽くしたところで、どうにもならないのだ。(中略)俳優は芝居の手助けをすることは出来るけど、成功させることは出来ない」 【マーロン・ブランド】


現在の日本で良く出来た脚本と演出ばかりに俳優がありつき続けるのは不可能だといって良い。いわゆる小商い(収入を得る為のみの仕事)をしなければ残念なことに俳優の生活はままならない。

ではこの現状の中で観客や視聴者の支持を得て、尚かつ俳優としての技量を高めて行くにはどうすれば良いのだろうか。


 幾つかの方法がある。

1・絶対に手を抜かない事。低いモチベーションは必ず演技に現れる。
2・自分の外見的キャラクターを常日頃からよく把握しておき、自分が何をすれば(役と役が行う事、但し大体においてで良い)どう見えるのかという事を良く知っておく。
3・無駄な動きを極力削り、オーバーアクションを避けて落ち着いて台詞を言う事を念頭に演技設計を立てる。


 上記の三つは才能は別にして努力の範疇で充分にやれる事である。また、上記の三つを掘り下げていけば、小商い対策は充分に立つはずである。


 2分の出番と2行の台詞があれば、自分を観客や視聴者に強く印象づけることは充分に可能である。但し、それが出来るのは俳優として自分を磨く事を怠らない者だけである。


 ところが、多くの俳優はその事が良く分かっていない。
「端役程度なら私にも充分にやれる」というような事を言う輩というのが実に多い。


 「ブリット」で僅か数分の出番でメインキャスト並の存在感を発揮した無名時代のロバート・デュバル、「傷だらけの栄光」でたった一言の台詞と2分弱の出番で強烈な印象を残した無名時代のスティーブ・マックイーン。こうした人々と同じ事がやれれば、大手プロを背景にしていなくても、必ず良いキャリアを積む事は可能だ。


 そして、どんな状況下においても俳優にはやりようがある。そのやりようの事を本当の意味でのノウハウというのである。


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「沢山のスタッフ、沢山のキャスト、沢山のエキストラ。現場はまるで戦場のようでした。新人のヴィヴィアン・リーはスタジオに入ると、まずはみっちりと2時間の発声練習。それから撮影が始まりました」 【映画「風と共に去りぬ」の撮影現場の回想より】


 この回想には映像で演技を行う俳優達にとって素晴らしい教訓が示されている。映画、舞台に大きな実績を残し、大女優の名を欲しいままにしたリーはみっちりと発声練習をした上で撮影に臨んだのである。


 TV、映画、Vシネマで主に演技を行う俳優達の多くは呼吸・発声が絶望的にダメな人々が多い。特に呼吸法を軽んじているのは演技力が向上しないように自ら努力しているようなものである。


 何故か日本では呼吸法・発声法をマスターすることが舞台俳優(だけ)の専売特許であるかのように思われている。それどころか、呼吸法については俳優初心者が養成所時代にのみ行う準備運動程度にしか思われていない。


 呼吸法は大きな劇場で最後方の客席に台詞を届かせるためにのみ行うのではない。活きた台詞を話しやすくさせ、長台詞であっても一語一語に自然な説得力を出させ、台詞の立ち上がりの反応速度を高める為には呼吸法のマスターは不可欠なのである。また、息に余裕が出来ることによる演技上のリラックス効果も極めて大きい。つまり、マイクが台詞を拾ってくれる映像での演技であっても演技・台詞術の向上に呼吸法は絶対的に必要なものなのである。


呼吸と発声は俳優にとって生涯を通して磨き続けなければならない重要なテクニックである。このテクニックは磨くことを怠ればすぐに衰えが来る。ロードワークを軽んじるスポーツ選手など一人もいないというのに、呼吸法を軽んじる俳優が多いのには暗澹たる気分にさせられる。業界が悪いこともあるが、俳優たちも呼吸・発声について根本的に見直し考える必要があるだろう。


 365日、何はなくとも短くてもよいので呼吸トレを俳優たる者欠かしてはならない。


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テキスト(脚本)を手にしたキャストが最初に行わなければならない事とは作品の全容をある程度感じ取る事である。その為には余計な思考をとっぱらった状態で、ピュアな感覚でストーリー(テキスト)に接する事が必要だ。


役とはあくまでストーリーの構成因子の一つにしか過ぎないのだ。


 ところが、余計な思考を頭に置くことは最初から色メガネを通してテキストに接する事になるので、素直にその内容を把握することが難しくなってしまう。


多くのキャストはこの時、自分の役を中心にテキストを読むか、建築家が設計図を読むように即物的に作品の構造を理解しようとしてしまう。または「内容を理解しなければ」という焦りから懸命になってテキストを読んでしまうのだ。


 一見、当たり前の事に思えるこの読み方の何がよくないのだろうか?
 答えは感受性を殺した状態でテキストに接してしまうことである。そして、初見の印象は後々までキャストの脳裏に刻まれてしまうことが多いのである。


 その結果は、なかなか役を理解出来ずに苦しむか、無駄な動きのオンパレードのベタベタした臭い芝居を悦に入ってやろうとする事になる。また、理解出来ないことを無理矢理に理解しようとして頭を悩ますキャストもいる。(全てを理解しないと演技出来ないと思うのは、感覚欠如のキャストの悪癖である。こういうキャストで上手い芝居をする者を見た事が無い)


 こうした事が起こる背景には、作・演出を兼ねる演出家が少ない事。テキストの理解をキャスト任せにしすぎる演出家(映像では特に多い)が多いという事。また、キャスト自身もテキストに接する際の謙虚さというのが余りにも欠け過ぎているという事がある。

 新劇系の俳優養成所特有の「テキストの裏を読め」という、無駄な思考を奨励するレクチャーにも悪因がある。

 そもそも、脳みそというものは「最初に感じ取り」「補足としての思考」というように出来ている。それを「感じ取る」作業をとっぱらって、最初に思考を持ってくる事が大きな間違いなのである。


 テキストを感じる事が出来ない俳優の行き先は、大体において屁理屈好きの芝居下手という結果に終わる。


 思考する事は重要ではあるが、演技を決定づける物とは感じる力、すなわち感覚なのであるという事を忘れてはならない。


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今回抜粋したのは所謂「導入編」と言える部分です。

これからどんどん深い部分へと入って行きますので、少しでも参考にしてみたい方は続編を楽しみにお待ち下さい。次回は「メソッドの嘘」「緊張とリラックスと集中」的な内容を予定してます(^-^)/



by沙人しゃと 俳優沙人(しゃと)の日記


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